研究プロジェクト

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2026年度

「不在者」の倫理
Ethics of the Absent

 小原克博氏が提唱した「不在者の倫理」は、過去や未来の不在者を記憶・想像することが、現在の存在者である我々に具体的な倫理的責任を喚起するという視座に基づいている。この「不在者」は、死者や未来世代のみならず、高度情報化社会において都合よく取捨選択され、意識の枠外へと追いやられた「現在を共に生きる他者」をも内包する重層的な概念である。つまり、不在者とは時の推移によって自然発生するだけでなく、我々の無関心や「世間」という同質的な枠組みによって、人為的に創出される存在でもあると言える。

 

 特に公共圏が、異質な他者を自我の延長へと回収してしまう「世間」として機能する現状においては、同じ時代を生きる他者がその固有性を奪われ、不可視の存在へと変貌させられている。こうした「現在における不在者」の創出は、公共圏における対話の不全を露呈させるものであり、死者を都合よく「加工」する生者の奢りや、いまだ諸課題への発言権を持たない「未来における不在者」への収奪や無関心とも構造的に連動している。

 

 直接的な対話が叶わない不在者の声を聴く営みには、つねに解釈者の恣意性というアポリアがつきまとう。しかし、だからこそ独善的な同質化を排し、不在者を「臨在する不在者」として呼び戻すための「対話的知恵」と「聴く倫理」の重要性が増している。

 

 2026年度は昨年度に引き続き、こうした課題への関心を継続しつつ、特に「未来における不在者」と「現在を共に生きる不在者」という二つの軸について、より踏み込んだ考察を行いたい。各専門領域からこの重層的な「不在者」に対する鋭い洞察が提示され、実りある議論が展開されることを期待する。

 

*小原克博「不在者の倫理―科学技術に対する宗教倫理的批判のために―」(『宗教と倫理』第16号、2016年)

第1回研究会

日時
2026年4月17日(金)
場所
オンライン
講師
小田淑子氏(元関西大学教授)
演題
日本的宗教における神仏・先祖・死者
コメンテーター
井上善幸氏(龍谷大学教授)

 26年度第1回研究会では、小田淑子氏が「日本的宗教における神仏・死者・先祖」と題して発表した。本発表は、20263月7日に開催された宗教倫理学会の公開講演会「技術史的観点からみたAIの実情と神職の事情」で、講師の才脇直樹氏が紹介された「何世紀も村落の庄屋と神職を務めてきた」という自身の「家の歴史」を聞いたことに触発され、日本的宗教の中で受容されている「神仏習合」の持つ意味を新たな視点から考察しようとする試みである。

 

 

小田淑子氏の研究発表

 小田氏の発表では、冒頭で、まず今年度の研究プロジェクト・テーマである「不在者の倫理」という視点を媒介として、死者を仏や神と呼ぶ日本人の宗教性の解明を試みたいという、本発表の主旨を簡単に述べて本題に入った。

 現代では神棚・仏壇のない家が多く、墓仕舞いも増加しているが、まだ多くの日本人が無宗教と言いつつ墓参に行き、仏壇の仏を先祖や身近な死者と認識している。ここに日本人の代表的な宗教がある。仏教教義に先祖崇拝がない以上、その宗教は神道と仏教の共存に由来すると考えられる。「神道は宗教ではない」と言う人が多いのは事実だが、神道を学問的に宗教と認識し説明することが重要である。

 一般に神仏習合と言われるが、神道と仏教は異質な宗教である。神道は儒教や先住民の宗教と同様に古層宗教(創唱者不在の民族宗教)で、共同体の秩序維持(五穀豊穣、無病息災、家内安全、子孫繁栄がその典型)を季節儀礼により祈願する。個人救済を説かず、通過儀礼を含め、儀礼祭祀を重視する。それに対して、仏教はキリスト教と同様に現世否定的な教義に基づき個人の救済を説き、教会や教団を創設し、神学や教学・宗学を重視する。仏教は一神教と異なり、土着の古層宗教を排除せず共存した。一神教ではありえないが、仏教徒は古層宗教の儀礼を行い、異なる宗教に属すことに矛盾を感じない。儒教では皇帝が天壇で天帝に祈願する新年儀礼を行い、家長が死者儀礼を行うが、天皇は儒教の新年儀礼を行わず、また神道が死を穢れとして忌むため、日本では仏教が死者儀礼を担った。日本は律令制や朱子学など儒教思想を受容したが、儒教儀礼を受容しなかった。この点に、儒教が深く浸透した中国や朝鮮の宗教伝統と、死者儀礼を担った仏教が神道の宗教共同体に深く根付いた日本の宗教伝統との相違の一因があると推測される。

 日本仏教は中国から主要経典も教義も異なる新しい宗派がもちこまれて定着し、それぞれ教団を確立したが、キリスト教内部の教会対立とは異なり、新旧の宗派が神道の宗教共同体に根差して併存し、どの宗派の信者も自由に通婚した。特に江戸時代の寺請制度以後、仏教は家の宗教となり、先祖崇拝と結びついたため、教義や読誦する経典が異なっても、どの宗派もほぼ共通の死者儀礼を行ってきた。

 仏教の仏は釈尊以外に、多くの如来と菩薩が存在する。神道の神々はさらに多様で、神話に登場する神々以外に八幡、恵比寿、稲荷、またご神体である山や岩、英雄や偉人、戦死者を神として祀る。「南無阿弥陀仏」の念仏では固有名で仏に祈るが、日本人は多くの場合に神や仏、神仏という一般名称で呼びかけ祈願する。どの神や仏でもいいと思うからでもあるが、それ以上に、固有名ではない神仏への祈願には各自の先祖・身近な死者への追悼と祈願が重なっている。仏教教義では成仏は悟りか、阿弥陀仏や法華経などの信仰による救いであり、単に誰もが死後に行く死後世界を意味しない。神道は死を忌むが、死者は祖先神となって子孫を加護・守護するという素朴な信仰もあった。「死んで神になる」という素朴な信仰が、仏教の信仰による成仏の教えを死後成仏に変容して広めた背景にあるように思える。

 家制度は戦後の法制度で否定されたが、家意識と家の宗教は相互補完、補強するように存続してきたが、葬儀の簡素化と墓仕舞いに伴い、希薄になりつつある。だが、日本人が死者を強く追慕追悼することは今も続いている。日本はこの数十年に何度もの大震災と台風などの大規模災害を経験し、多数の死者と行方不明者を出した。そうした若い死者は先祖ではないが、非業の死を遂げた人々であり、遺族にとって時に深い後悔と悲嘆の混じった追慕、追悼と供養の対象である。こうした民衆の素朴な宗教性は、当事者である民衆によって理論化どころか言語化さえされない。今後の日本の宗教のあり方を論じる際に、こうした宗教性を考察することが大事だと思われる。

 

 

井上善幸氏のコメントと全体討議

 小田氏の発表を受けて、井上氏は日本の供養を、死者を「切り離す」過程と社会を「再編する」営みとして捉え、長い時間をかけて死者が祖先へと位置づけられていく日本独自の枠組みであると説明した。さらに、平安期の貴族の葬送習慣から江戸時代の寺請制度に至る流れを踏まえ、墓がやがて「家の象徴」へと意味づけられていく変遷を示した。そのうえで現代においては、死者を慰める鎮魂としての供養にとどまらず、生きる側が自己の在り方を問い直す「聞法」やグリーフケアの要素も含まれていると指摘し、不在の死者との対話を可能にする倫理的空間として再構成する必要性を提起した。加えて、日本の先祖供養が古層宗教に由来するという小田氏の見方に対しては、死生観そのものの歴史的変化にも目を向けるべきだと論じ、宗教倫理において重視されるべきなのは「解答」よりもむしろ「問いを投げかけること」ではないかと述べた。

 井上氏のコメントに続いて、参加者を交えた全体討議では、小田氏の発表と井上氏のコメントを受け、過去に存在した「不在者」を、現在存在している我々が、宗教倫理の視点から論じる際の意義と同時にその困難さについても議論された。特に、日本社会の中で、不在者としての「死者」について考える際には、近代以前(古代・中世・近世)の死生観と近代以降のそれとの共通性と差異、さらに現在進行しつつある、現代社会における「死生観」の変遷のプロセスを踏まえて「不在者の倫理」について検討することは非常に困難なことである。しかしそれゆえにこの課題について問いかけ続けていくことの意義があるということも確認された。

第2回研究会

日時
2026年5月28日(木)
場所
オンライン
講師
室寺義仁氏(滋賀医科大学名誉教授)
演題
「死の質」(QOD: Quality of Death)という考え方について
コメンテーター
澤井義次氏(天理大学名誉教授)

発表要旨:

 「生活の質」(QOL: Quality of Life)という考え方には、日常を送る人にとっての生活の満足感や充実度といった観点に重きが置かれており、例えば、その指標として、日常の身体機能を点数化して評価するなどの「日常生活動作」(ADL: Activities of Daily Life)という考え方が用いられて来ている。加えて、人の尊厳を守るという医療の立場から、最期を迎えつつある目の前の人にとっての「死の質」(QOD)を考えることへの関心が高まっている。最期の迎え方を話し合う「(愛称)人生会議」(ACP: Advance Care Planning)という考え方や、その話合いの結果としての意思表示に基づいた医療判断の一つである「心肺蘇生(の試み)を行わない(指示)」(DNAR: Do Not Attempt Resuscitation)という考え方も又、「死の質」に関わる私たちの思惟の繰り返しの現れであると私には思われる。この「死の質」について、日本医学会での提言(2022 日本医学会創立120周年記念事業 | 日本医学会 「未来への提言」)を紹介しながら、<最期を迎えつつある 目の前の人>は<不在者となる人>なのであるから、「『不在者』の倫理」を議論するための一助となることを願って、この話題を提供したいと考えている。

第3回研究会

日時
6月に開催予定
場所
オンライン

第4回研究会

日時
7月に開催予定
場所
オンライン