2010年度の研究プロジェクトは、「格差社会と人間の危機」です。
報告者:宮本要太郎(関西大学)
今日の日本社会では、完全失業者の数も生活保護世帯の数も右肩上がりである。「ネットカフェ難民」などに見られるように、新しい貧困層が次々と生み出されている。そのことは、行政(国家)・企業(市場)・家族(共同体)という三重のセーフティネットが実質的に機能不全に陥りつつあるという事実を端的に物語っている。
経済格差によって社会から排除された人びとが多く集まる大阪の釜ヶ崎は、東京の山谷・横浜の寿町と並んで日本の三大寄せ場の一つであるが、この場所は、労働・福祉政策の対象であると同時に、解放社会学などさまざまな分野の研究者のフィールドである。さらに、労働組合による社会活動と宗教者によるそれとのせめぎ合う場所でもある。すなわち、戦前から信仰実践として慈善事業に携わってきた宗教者たち(とりわけクリスチャン)と、マルクス主義に依拠した労働組合系の社会活動家とが、野宿者支援をめぐって対立しながらそれぞれに存在を誇示してきた。
しかしそのような状況にも、近年、興味深い変化が見られる。一つは、戦後、「世俗化」を余儀なくされた宗教者の福祉事業に対し、伝道を主とする活動が急増していることである。これに関しては、とりわけ韓国系プロテスタント教会の台頭が注目される。
もう一つは、昨年6月に開設されたばかりの大阪希望館に顕著に見られる、労働団体や宗教団体、民間のホームレス支援団体が、共同でひとつの支援事業を展開する試みである。その活動の一翼を担っている「soul in 釜ヶ崎」(ソルカマ=野宿者問題を考える宗教者連絡会)は、宗教間の差異を乗り越えて「魂の貧困」を問題視するネットワーク作りを模索しており、現代日本社会における宗教の社会実践を考える上で注視すべき事例である。その活動には、社会の底辺=周縁においてこそ顕わになる人間同士の全人格的関係を積極的に展開しようとする意気込みが感じられる。このような試みが、「経済的な貧困」の根底に潜む「関係の貧困」にまで光を当て、「経済のホームレス」ならびに「関係のホームレス」に対抗するネットワークを構築する、そのような可能性に今後も注目していきたい。
なお、第2回研究会は、会場と開始時刻を変更して実施いたします。
(以下のキャンパスマップを御覧ください)
「七条大宮交差点の南東角、龍谷大学大宮学舎の七条通りを挟んで向かい」です。
キャンパスマップ(大宮学舎):キャンパスマップの中の⑫番です。
http://www.ryukoku.ac.jp/omiya.html
京都駅からバスで行かれる方:京都駅前のバス停A3番乗り場から、206系統のバスに乗られると、3つめの停留所「七条大宮」で降りてください。約10分です。
浄土宗應典院代表 秋田光彦
97年4月に大阪の都心に、應典院を再建した。檀家がいないので、葬儀をしない寺だ。地域文化交流の拠点として、NPOや若いアーティストを支援することを活動の目的として、いまは1年間に大小100以上の「場」があり、3万人以上の若者が集う。
ドラッカーは「世界の非営利組織の原点は日本の古寺だ」と述べた。近代以前まで、学び(教育)、癒し(福祉)、楽しみ(芸術文化)など日本の公益機能を担ったのは寺院だった。そもそも公共とは官が独占するものではない。地域の公共資源としての寺院を再生して、NPOや大学、行政との協働を通じて、現代に公共の意味を問いかけた。
應典院が再建されてから13年がたつが、この間、「就職氷河期」から「失業問題」「ニート」「派遣村」など、若者と雇用の問題が大きく揺れ動いた。それは経済格差の陰影であると同時に若者にとって生きる意味の格差を生じさせたともいえる。人間関係にまで「勝ち組・負け組」の格差が生まれ、つながりは分断され、世代間や階層の対立、あるいは無関心や排除を生んだ。
應典院に集う若者たちも大半が非正規雇用のフリーターであり、社会のメインラインからの離脱組であった。彼らを孤立させないコミュニティとして、寺に何ができるか。應典院では、NPOやアートの活動に並行して、職人講座や社会起業セミナーなど開催して、若者たちにもうひとつの働き方、自立への道を提案した。應典院は、寺という場を問い直すとともに、若者が自ら成長するための場とは何か、という意味を問いかけたのである。
近代の仏教は、教義の言語化を促進した。その効用は絶大であったが、反面意味の固定化や解釈の硬直化も起きた。95年の阪神淡路大震災、オウム真理教事件など、生々しい現実の前で宗教の言葉はフリーズした。あるいは、そもそも日常世界から宗教と社会の関係性が欠落していたからかもしれない。最初から教えありきではなく、若者たちの生き様から立ち上がってくる関係性の行方に、仏教の照準を合わせてみる。應典院は、「言葉の宗教」から「関係性の宗教」へと軌道を転換させたのである。
いま宗教者の社会活動として、格差社会の現象ともいえる「自殺対策」「野宿者支援」を注目している。いずれも共通項は、教説が現場の前で成り立たない。宗教者としての自己否定から始まるという点だ。いわば関係性のゼロ地点に立って、初めて宗教者として相手に「寄り添い」「聴きつくす」ことが可能になるのではないか。自身の宗教的知識がいったん崩壊して、そこからなお宗教者の専門性や役割とは何か、を自問すること。格差社会における宗教者の立脚点が重要だ。
個は分断され、関係性が喪われていく。しかし、人はつながりなしでは生きていけない。既存の組織や集団に寄りかかるのではなく、新たなつながりをどう回復していけばいいのか。グローバリズム的な絶対の個を求めるのではなく、これからの時代を切り結ぶ個々人の主体を育て、それらがもう一度つながり直して、新たな共同性、連帯軸を創り出して行く。仏教はこれからの個を支える、強靭な補助線でなくてはならない。
應典院もまた、魅力的な個と、社会が豊かに応答しあう関係の場であり続けたい、と思う。
斎藤嘉文
格差社会に宗教は何ができるかという課題に対し、まず「格差」「社会」「宗教」を再解釈することから始めた。エリアーデは宗教の起源を類人猿の「直立」に遡った。その時点で類人猿が経験したであろう事態は未だ宗でも教でもない精神の転回、しかも空間的な転回であった。空間と精神は分かちがたく結びついている。精神に接近は困難であるとしても空間は観察可能、かつ操作可能でさえある。
空間の研究は20世紀初めに位相幾何学に到達した。それは数学的には解析学を集合論上で展開するための簡潔にして美しい構造であるが、位相を定義する開集合系が非対称な二つの演算子で生成されるという点に着目すると、位相空間を都市空間に埋め込む可能性が生まれる(都市にとって位相空間が強力な隠喩となるという意味である)。原広司は都市の主要な演算子として分離と連結を示して、その演算の反復によって生成しうる最大の都市空間を discrete city(離散都市)と名付けた。訳語では分離に重点があるかに見えるが、離合集散が自在に起る都市空間のことである。
社会は実際には都市という地形の上で展開する。そこで生じうる格差すなわち階層性とは、都市空間における“縦”の移動性の停滞と解釈される。位相空間における移動は要素を移すのではなく集合を移す。したがって鉄道や高速道路などの「輸送量」は移動性には関わらない。移動性は諸領域の分離と連結によって促される。移動性の最大化は位相の離散化によって達せられる。
位相はローカルには近傍系として現れる。都市空間の近傍系は人(生物)それぞれが環境の中で生きていくための緩衝帯・中間帯と解釈することができる。大きな近傍系をもつことはさまざまな解釈能・ものの見方をもって都市を生き、楽しむということである。こうした考え方を背景に原とそのチームは南米の都市に実験住宅を建設した。それはきっかけとしては家のない人々のための簡易住宅であったが、小さな discrete な部分空間を都市に挿入することとなった。
なお、第4回研究会は、会場と開始時刻を変更して実施いたします。
(以下のキャンパスマップを御覧ください)
http://www.doshisha.ac.jp/access/ima_access.html
さらにNPO法人「京都自死・自殺相談センター」を開設し、電話相談や自死遺族支援活動などの自死の問題への取り組みを行っている。
1966年に創立された台湾の財団法人・仏教慈済基金会(慈済会)は、会員500万を誇る世界最大の仏教NGOである。本発表では、40数年にわたる慈済会の社会救援の状況を振り返りながら、台湾社会の現実に噛み合い、その進路をリードすることをめざした證厳法師の仏教ヒューマニズムに基づく実践思想を紹介し、論評した。
慈済会のようなタイプの宗教団体は社会参画型宗教とも言われる。創始者で現代表の證厳法師(1937~ )は、1960年代当時の台湾における極端な格差社会に直面し、同を始めるにあたって、「貧困者を救済すると同時に金持ちには正しく教導する」(救貧〔済貧〕教富)という二正面作戦を展開した。
慈済会は、「四大志業八大脚印」と呼ばれる慈善、医療、教育、人文、国際救援・骨髄バンク・環境保護・地域ボランティアの大規模事業を展開しており、いわばNGOの総合商社としての側面を持つ。そして、それを無償で支える委員や会員の諸活動がある。しかも、助けられた者が今度は助ける者になる「善の循環」が定着し、そのような形で
社会変革的契機をもっている。これは台湾における格差社会という現実に対応するものであって、そこでの理念が「救貧教富」だったのである。
その後、台湾は全体として豊かになり、社会保障制度も整ってきたが、その中で貧富の概念もより大きな視点から組みなおさざるをえない側面が出てきた。そこで改めてクローズアップされてきたのが、豊かな台湾・華僑と貧しい途上国・低開発国の現地住民との大きな経済格差の問題である。両者の間には「救貧教富」の図式がいまだに生きている。その上で、また豊かな国となった台湾の人々にも、地球環境問題を前にしてライフスタイルをせまるものがある。それが「清浄な心で慎みをもって生きることは幸福に至る」(清貧致福)の教えである。
慈済会の社会救援のあり方は現実に対応している一方で、貧富の格差を前提にして話が展開し、社会構造そのものの根本的改革にまでは進まないという憾みが残る。それは「慈善」という言葉が生きている社会において有効なものかもしれない。ただし、権利とその権利保障という近代福祉国家の仕組みに対して、顔の見える福祉(感謝と無私の奉仕)をアピールする福祉社会的な存在意義があり、この点において日本の宗教社会福祉はおおいに参考にする必要がある。