研究プロジェクト

研究プロジェクト

2003年度

「生命と宗教――生命倫理からの問いかけ」

報告

徳永道雄氏(研究プロジェクト委員会 委員長)による報告

 第1回研究会、3月25日。早島理先生、仏教哲学がご専門で、滋賀医科大学で先端医療の医の倫理委員会に参加しておられる方です。先端医療については詳しい方です。
まず第一に1995年くらいから生命倫理の基準が大きく変わってきた。生命倫理というものが共同体、社会の行動規範であって、個々人の倫理規範ではないという要素が表面に出てきた。さらに生命倫理は生命科学の進展を阻止、阻害するものであってはならないという風潮が出てきた。この中で生命科学の発展がもたらす可能性と人間の尊厳の境目をつけることが困難になってきたという状況の中で、脳死・臓器移植法改正案の一例では、法律によって「脳死を一律に人の死とし、脳死の拒否権は認められない」という点があります。
二つ目は「脳死になった本人がドナーカードを持っていない場合、臓器移植に自己決定して死んだと見なす」。その上で家族の承諾を得て臓器を提供できるという意見があります。もう一つは「15歳未満の子どもの場合、親権者の承諾があれば意思表示をしていない子どもが脳死になった場合、移植ができる」。こういう3つの見方に顕著に現れている。これは果たして倫理と言えるのかどうか。医療科学に都合がいい原則ではないかという風潮が強くなってきたと早島先生が警鐘を鳴らしておられる。その他、先端医療としてはクローン技術、ヒトES細胞、ヒトゲノム、余剰胚の研究利用を含むわけですが、そういうことを取り上げて報告していただきました。

 

 第2回研究会は4月25日、金城学院大学の金承哲先生。金先生には「クローニングとキリスト教」。1997年2月に誕生しましたクローン羊のドリーの根底にはダーウィン革命による生物学的パラダイムの転換という画期的な出来事があったという事実。ダーウィン革命とは19世紀末のニーチェの思想に比べうる点が多い。そういう事実の上に立ってクローン羊ドリーの誕生を考えますと「生物学上の新しい技術ではなく、極めて宗教的かつキリスト教的意味をもった出来事だ」というアメリカのルーテル派の神学者であるテット・ピーターの意見を紹介していただきました。一体、神に対する挑戦なのか、神の真似事をしているのかという問題であります。人間複製、クローンをめぐる論壇の大部分は生物、医学分野に集中していて、一点の宗教的観点も存在していない事実を金先生は批判されたのであります。

 

 第3回研究会は龍谷大学の生駒孝彰先生が「台湾の水子供養」という題でお話していただきました。台湾では1984年、優生保健法ができて妊娠中絶が合法化された。担当の医師が認めるならば24週間以内なら中絶できる。一説には40万の妊娠中絶が年間行われていると。台湾のキリスト教は勢力が小さいらしいですが、キリスト教では中絶に強く反対している。ところが仏教では場合によっては認めるべきという立場で、台湾で大きな勢力を占めている道教は強く反対しない。台湾では嬰霊供養が盛んであって、仏教と道教が合体して大繁盛している。こういう現状をどう見なすかと。こういうことか盛んになってきたのは日本の水子供養が強い影響を与えているという意見を台湾の人々ももっている。日本の水子供養が輸出された。

 

 第4回の研究会は6月27日、芦名定道先生で「宗教思想の問いについての生命倫理~自己決定の問題を中心に」。生命倫理の基本原理である自己決定について宗教固有の問題とは何か。早島先生の話にありましたように、脳死の拒否権を認めない、ドナーカードを持っていない場合、臓器提供に自己決定して死んだと見なされるような自己決定というのは骨抜きされた自己決定で、宗教倫理の問いとして考えると、自然主義からは「べき」の議論は出てこない。価値判断の問題は別に立てなければならない。宗教倫理としては何を問うべきか。個別の宗教レベルでの「べきの理論」をその根拠を明確にしつつ、具体的に展開する必要がある。その場合、非宗教的な生命倫理とは別の考え方、別の選択を明らかにしなければならないと主張されたわけであります。キリスト教に限りますと、生死は原理的には神の決定の事柄であるが、その神の決定を誰が、いかなる仕方で判断するか。教会によるのか、個人の信仰によって決定するのか。この発表では盛んな質疑応答がありました。「そうはいっても宗教が自己決定を調整する。宗教的人格は自己決定が調整する。宗教的信仰が社会的規範を判断する人間をつくる。そういう能力を持った人間をつくると言いつつ、自己決定以前に宗教を選ぶことはできないというこの矛盾をどうするか。宗教は倫理的主体を形成するというが、果たして言えるのか」という深刻な問題が提起されまたことをご紹介しておきます。

 

 第5回、7月23日、金子明先生、天理大学。「生命倫理の死生学的なアプローチ~天理教における脳死・臓器移植論争史から」。脳死・臓器移植の問題が表面に浮かび出た時点から天理教内部では採り上げ、脳死・臓器移植をめぐる論争が繰り返されてきた。そしてその対応策について論じられてきた。その経過を年代を追って紹介していただきました。拝聴していまして、私はまさしく日本的な脳死・臓器移植論争の縮図であるとコメントいたしました。日本人が脳死・臓器移植について議論してきたことが天理教内部でも典型的に繰り返されてきたということです。

 

 8月4日、5日は高野山に一泊研修会。発表は4人の予定でしたが、天理大学の澤井義次先生と小原克博先生、同志社大学。澤井先生の発表は「環境倫理と日本の宗教的自然観」。日本の宗教的自然観は多神教的、汎神論的自然と人間との間の区別をつけない自然観が宗教にも大きな形で現れている。それに対して小原先生は日本においては風土の中では一神教的、キリスト教的自然観、神と人間との二元的対立が目の敵にされてきた。しかし本当に汎神論的な日本的な自然観がエコロジー論理を発展させる論理が生まれてくるかどうかという疑問を提示されました。異なった世界観、自然観が共存していくためには各自がもっている主要な世界観によって他を否定するのではなく、包み込んでしまうことが必要である。そういう姿勢によってこそ日本の宗教とエコロジーのよりよい関係がもたらされる。それが21世紀にとって大きな重要な規範となるだろうという趣旨だったと思います。日本的、仏教的、神道的要素をやたらと尊重することに対する一種の警告を発表していただきました。
  二人の報告に加えて会長シュペネマン先生と龍谷大学の嵩満也先生がカルテットを組んで、宗教倫理学会の代表として11月のAAR大会に参加されることが決まりました。高野山一泊研修会は生井先生の全面的なご協力をいただきました。お礼を申し上げます。

 

 第6回の研究会は9月19日、鳥取大学医学部の安藤泰典先生のご発表でした。「生の尊厳とスピリチュアリティ~生の全体性と階層性の観点から」。人間の生の全体性と多層性を定義していただき、ライフ(life)に対応する日本語の多様性について、ライフは生命とも、生活とも人生とも命とも訳せることによって、QOLは中身が違ってくると。宗教的な意味で生命というものをとらえ、スピリチュアルな痛みとはどういうものかということ。ライフという言葉の多層性に応じて話をしていただきました。宗教的な観点からすれば、人間であるがゆえの痛みとしか言えないような痛みであって、その原因をつき止めて対症的に処置を施すことによって消滅するようなものではない。処置者も同じ痛みを覚えているという死生の探究者として初めて一つになるということであります。人間の生とあらゆる局面において加速度的に進行している医療がシステム化の一歩手前で問うという姿勢が必要なのではないか。人間の苦、痛み、そこに含まれる豊かさを丸ごと自分のものとして取り戻すという、極めて宗教的な見解を発表していただきました。これもまた興味ある質疑応答が展開されました。「それはそうなのだが、宗教的自覚とは何か」という質問が展開されました。

第1回研究会

日時
3月25日(火)18:00 ~ 20:00
「先端医療の諸問題」

早島 理 先生 (滋賀医科大学教授)

第2回研究会

日時
4月25日(金)18:00 ~ 20:00
「クローニングとキリスト教」

金 承哲 先生 (金城学院大学)
レスポンデント:小原 克博 先生

第3回研究会

日時
5月23日(金) 18:00 ~ 20:00
「台湾の水子供養」

生駒 孝彰 先生 (龍谷大学)
レスポンデント:嶽 満也 先生(龍谷大学)

第4回研究会

日時
6月27日(金)18:00 ~ 20:00
「宗教思想の問いとしての生命倫理――自己決定の問題を中心に」

芦名 定道 先生 (京都大学)
レスポンデント:清基 秀紀 先生(京都女子大学)

第5回研究会

日時
7月23日(水)18:00 ~ 20:00
「生命倫理の死生学的アプローチ――天理教における脳死・臓器移植論争史から」

金子 昭 先生 (天理大学)
レスポンデント:徳永 道雄 先生 (京都女子大学)

第6回研究会

日時
9月19日(金)18:00 ~ 20:00
「生の尊厳とスピリチュアリティ――生の全体性と階層性の観点から」

安藤 泰至 先生(島根医科大学)

高野山一泊研修会

日時
8月4日(月)・5日(火)
場所
高野山大学
演題
「日本人の精神性と環境倫理」
「環境倫理と日本の宗教的自然観」

澤井 義次 先生(天理大学)

 

"The Confrontation of Monotheistic and Polytheistic View of Nature in Japan"

小原 克博 先生(同志社大学)

 

この他発表要約として「環境倫理と日本浄土教の宗教的霊性 ―親鸞浄土教の視点から―」(嵩 満也、龍谷大学)、および「日本人の精神性と環境倫理」(シュぺネマン クラウス、同志社大学)が提出された。