小原克博氏が提唱した「不在者の倫理」は、過去や未来の不在者を記憶・想像することが、現在の存在者である我々に具体的な倫理的責任を喚起するという視座に基づいている。この「不在者」は、死者や未来世代のみならず、高度情報化社会において都合よく取捨選択され、意識の枠外へと追いやられた「現在を共に生きる他者」をも内包する重層的な概念である。つまり、不在者とは時の推移によって自然発生するだけでなく、我々の無関心や「世間」という同質的な枠組みによって、人為的に創出される存在でもあると言える。
特に公共圏が、異質な他者を自我の延長へと回収してしまう「世間」として機能する現状においては、同じ時代を生きる他者がその固有性を奪われ、不可視の存在へと変貌させられている。こうした「現在における不在者」の創出は、公共圏における対話の不全を露呈させるものであり、死者を都合よく「加工」する生者の奢りや、いまだ諸課題への発言権を持たない「未来における不在者」への収奪や無関心とも構造的に連動している。
直接的な対話が叶わない不在者の声を聴く営みには、つねに解釈者の恣意性というアポリアがつきまとう。しかし、だからこそ独善的な同質化を排し、不在者を「臨在する不在者」として呼び戻すための「対話的知恵」と「聴く倫理」の重要性が増している。
2026年度は昨年度に引き続き、こうした課題への関心を継続しつつ、特に「未来における不在者」と「現在を共に生きる不在者」という二つの軸について、より踏み込んだ考察を行いたい。各専門領域からこの重層的な「不在者」に対する鋭い洞察が提示され、実りある議論が展開されることを期待する。
*小原克博「不在者の倫理―科学技術に対する宗教倫理的批判のために―」(『宗教と倫理』第16号、2016年)