教団や各地の教会・寺院などのさまざまな宗教制度や組織も宗教共同体と考え られるが、一般に教団制度のない民族宗教の場合、民族が宗教共同体に相当する。 共同体の構成メンバーは互いに共有できるエートスを有していて、このエートス が倫理を支える重要な基盤の一つとなっている。
日本民族が日本的宗教の宗教共同体に相当するが、それはむしろ宗教共同体と いうより宗教的土壌と言ってもよいかもしれない。日本には神道という民族宗教 に仏教が根をおろし、共存もしくは分業してきた宗教的土壌がある。このことが 現代日本社会を考える際に無視できないのは、その上に多数の宗教制度が存立し、 同時に世俗的な法律と倫理観が支配する公共空間がほぼ全面的に重なり合ってい るからである。
宗教共同体は家族・親族の血縁共同体や伝統的な地縁共同体などと重なり合う 側面もある。しかも同時に、宗教共同体は、独自の宗教縁を通じて、それまで無 縁だった人々とも新たなつながりを築いていく。宗教共同体は、これによって社 会のあり方を変化させると同時に、自らの性格も変容していくことになる。さら には倫理をめぐるあつれきや葛藤も生じてこよう。現代日本社会において、宗教 共同体の持つそのようなダイナミズムはどのように展開しているのだろうか。 とくに「3.11」以降、宗教は社会にどう働きかけ、人々の縁やつながりに対し てどう影響を与えてきたか、また新たな公共圏にどこまで参与することができて いるか、理論的にも実践的にも解明が期待される問題領域である。
本学会では、2015年の国際宗教学会(IAHR)にパネル参加することを視野にお きながら、2014年度の研究テーマとして、「現代日本社会における宗教共同体と 倫理」を設定した。このテーマについて、2014年度の研究会では総合的、多角的 に議論してみたい。
小田 淑子 氏(関西大学教授・宗教倫理学会会長)
澤井 義次 氏(天理大学教授)
現代日本の宗教のあり方について語るとき、日本の宗教伝統を「生活慣習としての宗教」と「信仰としての宗教」の二重性を基軸として捉えることが有効であると思われる。「生活慣習としての宗教」は、たとえその宗教性を意識しなくとも、いわば伝統的な行事として継承されてきた。それは広義の「宗教共同体」、すなわち日本の宗教文化を形成してきた。また同時に、個人が主体的に選び取る「信仰としての宗教」も、狭義の「宗教共同体」すなわち教団宗教として存在してきた。これら二重の「宗教共同体」を基軸として現代日本の宗教を捉えるとき、宗教あるいは宗教的なものがどのように倫理と連関してきたのか、また連関しているかをより良く理解するための視座を得ることができるであろう。 この研究発表は、「宗教共同体」と倫理の有機的連関を考察することによって、現代日本社会における宗教のあり方を読み解こうとする一つの意味論的な試みである。
岡田 正彦 氏(天理大学教授)
戦後の伝統的仏教教団が取り組んだ「教団再編成」運動の顛末を紹介しながら、 日本人の共同体意識と宗教という課題について考えてみたい。
島薗 進 氏(上智大学特任教授)
仏教の倫理性、とりわけ日本仏教の社会倫理についての考察があまりなされてこなかった。他方、昨今は仏教教団に対して多くの社会倫理的問いかけがなされている。たとえば、生命倫理、差別、戦争と平和、環境問題、自殺の是非、布施と税の問題など。こうした問題に応じて、公共的討議に貢献していくためには、仏教倫理の基礎的な研究とともに歴史の中で実際にどのような経験を経て学んできたかを検討していく必要があるだろう。
高田 信良 氏(龍谷大学教授)
明治初期、「大教院」が消えていく過程で、「神道非宗教論」が登場し、現今、多元的に在る宗教諸団体(狭義の宗教運動態、教派神道13諸団体、仏教13宗56派諸団体など)の原型が生まれた。また、<道徳[倫理]・宗教>概念の多義的理解(後に「国家神道」と指示されるものは「道徳」か「宗教」か)も現れてきた。
作業仮設として、宗教共同体を、狭義の宗教共同体(religious groups制度宗教諸団体)と、広義の宗教共同体(religious communities<宗教的関心>に生きる人々の集合体)とに分ける。また、宗教・倫理[道徳]を最も広義に理解する、すなわち、宗教を、<人がそこにおいて生きる世界観人生観(死生観、倫理)>と理解し、<よく生きること>を教えるものを倫理と理解する(両者の差異を祭祀の有
無に見る。祭祀を持つものが宗教、祭祀を持たないものが倫理)。
現代における宗教多元/価値多元の諸様態を次のように考える。a)<神道共同体>、<カミへの関心に生きる人々>(カミを祀る/崇敬する人々、神社に詣でる人々)。b)<仏教共同体>、<ホトケへの関心に生きる人々>(仏を参拝する人々)。c)<日本の宗教>共同体、<“宗教的なもの”にひかれる日本人、"日本的なもの"[本覚思想的なもの]にひかれる人々>と理解する。さらに、d)<道(天/道などの規
範性)への関心に生きる人々>。また、維新期以降、西欧諸文明との出会いのなかで登場してきたところの、e)<神Godのもとに生きる人々>(キリスト教、科学、modernityに生きる人々)や、f)<世俗/非宗教のもとに生きる人々>(科学、modernityに生きる人々)、などなど。
宗教共同体の理念/原型はさまざまである。1)<主がイスラエルの神となり、イスラエルは主の民となった>、<モーセによる出エジプト>物語、2)<キリストによって呼び集められた教会エクレシア>、<聖霊降臨ペンテコステ>物語、3)ウンマ[イスラム共同体]、<神のほかには神はなく、ムハンマドは神の使徒である>、<ヒジュラ聖遷>物語、4)サンガ[仏教共同体]<ブッダ・ダルマ・サンガに帰依する>、「初転法輪」物語(成道後、修行仲間5人との出会い、仏弟子誕生)。5)古代宗教、先住民の宗教、それぞれの物語がある。
これらを参考にしつつ、前述のような多元性のなかで、<日本の宗教>共同体、<神道共同体>、[日本における]<仏教共同体>は、どのような輪郭をもって存在しているのか(あるいは、そのようなものは<存在しない>のか)を愚考してみたい。