2008年度の研究プロジェクトは、2007年度に引き続き、「祈りとモダニティ―宗教から現代を考える―」です。
石原孝二氏(東京大学准教授) 科学哲学
福士珠美氏(科学技術振興機構) 脳神経倫理
芦名定道氏(京都大学教授) キリスト教学
落合仁司氏(同志社大学教授) 数理神学
杉岡良彦氏(旭川医科大学講師) 医学概論
室寺義仁氏(高野山大学教授) 仏教学
徳永道雄氏(京都女子大学名誉教授)
親鸞の浄土教において「祈り」という言葉あるいは概念ほどやっかいなものはない。例えば、浄土真宗は「祈り」ということを言わない宗派として広く知られているにもかかわらず、親鸞自身が「いのり」という言葉を肯定的に用いているという事実があることも否定できないのである。いわゆる「祈り」すなわち現世祈祷という日本仏教の通弊とも言うべき行為を親鸞ほど強く否定した仏教者はいないが、他方では親鸞は「世のいのり」という表現をもって「祈り」を肯定的に用いているのである。これは本願念仏が人びとに安穏をもたらす行為であるという文脈において用いられている。さらに言えば、親鸞思想における宗教性の根源であるというべき阿弥陀仏の「本願」そのものが「いのり」であるという肯定的な解釈も十分に成立する。すなわち、阿弥陀仏の本願は一切の衆生を平等に救わんとする宇宙的な「いのり」であるということである。
以上のことを「行水の湯といっしょに赤子をも流してしまう」という俗諺に即して言うと、これを親鸞における「祈り」の否定的な用法と肯定的な用法の両方に適用することができるであろう。すなわち、もしも「祈り」という言葉の使用を認めるとすれば、それはこの言葉の現世祈祷的な用法を認めるという理解に直結してしまうであろう。もちろん、この場合の「赤子」は浄土真宗においては現世祈祷が強く否定されているという事実である。その反対に、もしも「祈り」という言葉の使用を禁じるとすれば、阿弥陀仏の本願そのものが一種の「祈り」であり、その活動態であるところの衆生の「信」や「念仏」もまたその「祈り」の顕現であるという親鸞思想の中核もまた同時に否定されてしまうであろう。
このいずれの場合においても、湯といっしょに「赤子」を流してしまわないことが肝要であることはいうまでもないが、「祈り」に関してそれをいかにして回避するかを追求する教学が喫緊のものとして要請されているのが、現代における浄土真宗の課題であることは言うまでもない。
安永祖堂氏(花園大学)
「祈り」とは何か?「祈り」を人間と神との内面的接触、あるいは対話と把捉するかぎり、禅と「祈り」の接点はあり得ない。ただし究極的かつ超自然的な力、さらには働きとの関わりと解釈するならば、禅にあっても「祈り」は成立し得るのではないか。坐禅は「沈黙の祈り」であると首肯し得るだろう。
たとえば「射祷」(『不可知の雲』)のような短い聖句を繰り返す「祈り」のスタイルは、臨済禅の初関の公案、趙州無字や隻手音声などの工夫を髣髴とさせる。
ただしそのようなキリスト教神秘主義の「祈り」で、身体の位置づけが禅のそれと決定的に相違する点は留意すべきであろう。坐禅は調身・調息・調心の行であって、肉体から乖離した霊的観想には止まらない。
「今日の近代は、近代化の外部にあってその与件と考えられて来た宗教や家族といったあらゆる伝統や自然を自らの内部に取り込み、」(研究プロジェクト惹句より)
あるいは「取り込まれた」のではなく、むしろ延命を企図して近代に「取り入った」のだと抗弁するかもしれないが、いずれにせよ現今の伝統宗教が「風景」に成り下がってしまったことは間違いない。
ここに禅の立場からあえて「ラディカル」という視座を提起してみたい。「ラディカル」すなわち、根源的かつ急進的である。
そもそも宗教は麻薬のように人を飼い馴らす仕掛けであると喝破し、禅に宗教の枠に収まらない劇薬の匂いがすると指摘した識者がいる。
ところが本来の生死脱得の「修行」から人格向上の「修養」へ、そして理知主義的「教養」へと、禅はひたすら毒を抜かれ去勢され続けてもいる。
しかし、もともと世俗の価値観とは一線を画するものが宗教であったはずであり、「だれでも父、母、妻、子、兄弟、姉、妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」(ルカによる福音書14-25)と説かれてもいる。
ゆえに宗教の持つ、善悪の彼方の根源的な次元に立ち返ることが、時代の奔流に先鞭をつける急進的なエネルギーを再造させる方途になり得るのではないかと愚考する。
落合仁司氏(同志社大学)
自然は神の創造した作品である。したがって芸術作品にその作家の痕跡が発見されるのと全く同様に、自然には神の痕跡が見出せる。自然は美しい秩序を示す。しかもその秩序は美しい数学の方程式によって表現される。自然の秩序を表現する美しい微分方程式は紛れもなく神の痕跡である。神は微分方程式という言葉によって自然を創造したと言ってもよい。自然の秩序に神の痕跡を発見する営為を自然神学と呼ぶならば、それは自然の秩序を微分方程式によって表現する営為である近代物理学と過不足なく重なり合う。少なくとも近代の自然神学は近代の物理学とほとんど同一の営為なのである。
近代物理学は微分方程式によって自然の秩序を表現する。これは近代物理学の黎明を告げるニュートンの運動方程式に始まり、それに続くマクスウェルの電磁場方程式、そのマクスウェルの場の理論によってニュートン物理学を相対化したアインシュタインの重力場方程式、そして量子物理学の端緒であるシュレーディンガーの波動関数方程式に至るまで全く変わらない。近代の画期を決定する物理学から見れば、近代は微分方程式と共に始まり、今日なお依然として近代であることに疑いの余地は些かもないのである。
微分方程式は微分すなわち変数がある値に無限に近付けば関数もその値と対応する値に無限に近付くという操作を不可欠とする。この変数がある値に無限に近付くという操作、これが無限数列の極限を取るという操作に他ならない。したがって近代物理学の基底には、無限数列が極限を持つか否か、言い換えれば無限集合が限界を持つか否かという問いが横たわっている。数学的に言えば無限集合が限界を有するか否か、すなわち位相空間がコンパクトであるか否かという問いである。
閑話休題、神は人の苦しみを共に苦しみ、人の死を共に死ぬことによって、人を救う。これが人間イエスと共に神ご自身が十字架に付けられ苦しみ死んだことを証言する聖書から導き出された啓示神学、「十字架の神学」である。「十字架の神学」は今日のキリスト教少なくともプロテスタントにとって中心的な教義である。しかし「十字架の神学」を弁証するためには、全能すなわち無限の能力を有する神が何故苦しみ死ぬのか、無限の神がどうして限界を有するのかという問いに答えねばならない。「十字架の神学」以前の神学は、全能の神が苦しみ死ぬことなどありえない、無限の神が限界を有することなど不可能であると言い続けて来た。いわゆる神の受苦不能性impassibilityである。
神が無限であるとするならば、神を無限集合として表現することが出来よう。神を無限集合と表現するならば、神が苦しみを受けるか否か、神が限界を有するか否かという問いは、無限集合が限界を有するか否か、すなわち位相空間がコンパクトであるか否かという問いに変換される。「十字架の神学」の根拠に関わる問いは、近代物理学したがって自然神学の基底に横たわる問いと同型だったのである。
位相空間がコンパクトであるか否か、無限集合が限界を有するか否かという問いは、無限集合それ自体が存在することを前提すれば肯定的に答えられる。無限集合すなわち神が存在すれば、位相空間はコンパクトとなり、神は人と共に苦しみ死ぬことが可能となるのである。もちろん無限集合したがって神の存在それ自体は証明されるべき定理ではなく前提されるべき公理に過ぎない。前提されるべき公理は自由な選択、言い換えれば信仰に委ねられる他はない。しかしその信仰があれば、位相空間はコンパクトとなり、近代物理学したがって自然神学の言語である微分方程式が可能になると同時に、神の無限は限界を有し、神は人の苦しみを共に苦しむ、したがって「十字架の神学」が可能になるのである。
中村信博氏(同志社女子大学)
モダニティーは世俗化の過程として理解されることが一般的である。今回は、古代イスラエルにおける宗教(国家)改革について紹介し、その時代背景と思想がどのようにヘブライ語聖書に影響を及ぼしたのかを論じながら、モダニティーを世俗化とは逆の宗教的再創造過程として定義し得る可能性があることを類比的に考察した。それによって、西欧近代もまた世俗化と宗教理念再構築を胚胎したひとつの緊張として、検討し直すことができるのではないだろうかと考えている。
ヘブライ語聖書には、音楽療法の起源とされる物語が叙述されている。サウル王は従者ダビデの奏でる竪琴の音色によって癒された(サムエル記上)。しかし、物語はこの出来事の直前に、すでに神(ヤハウェ)の霊が王から離脱したことを告げている。つまり、王の苦悩は、王自身の理解とは別に、超越的な神との関係で理解されなければならなかった。それは、時系列における事象の連鎖(原因-結果)によっては把握しきれない、超越的原因への探求を暗示する。
この物語は、研究者が「申命記主義的歴史記述」と呼ぶ、ヘブライ語聖書中に抽出される広範な歴史文学の一部である。名高いバビロン捕囚(国家崩壊)直前の前7世紀後半、南ユダ国王ヨシヤはアッシリア帝国衰亡期に乗じて国家再建を計った。いわゆる申命記改革である。それは政治と宗教との一元的強化を目的としたが、その青写真である「律法の書(原申命記)」は神殿修築工事の現場から発見されたものであった(列王記下)。エピソードの真偽はともかく、それは信仰的逸脱にたいしてのはげしい批判を内容とした。そしてそれこそが、いわゆる「申命記主義的歴史記述」の中核的思想であった。
このように、古代イスラエルは国家崩壊(バビロン捕囚)の危機に直面することで、歴史を一定の神学的基準から省察・評価する基準を確立したと考えられる。「申命記主義的歴史記述」は、この基準によって編纂された歴史文学であった。サウル王を竪琴によって慰めたダビデの物語も、ダビデがのちにサウル王を襲った後継王であったことを考えると、そこには、「王と従者」という二人称的関係が崩壊にといたる危機を、すでに内包していたはずである。
竪琴は、礼拝楽器でもあったことから推測すると、物語のなかでは、歴史(現実・世俗)軸と超越(宗教・神)軸が交差するところに表象化されたものであったろう。とすれば、それはサウル個人の治癒物語ではなく、むしろ礼拝共同体として、民全体が超越的次元へと回復(復帰)されることを隠れた主題としていたと解釈することもできる。そして、音楽療法というモダニティーが「ダビデの竪琴」を発見したように、18世紀以降の近代の聖書学は、ヘブライ語聖書のなかに「申命記主義歴史記述」というモダニティーを発見したともいえよう。
その意味で、モダニティーを単純に世俗化として理解することには慎重でありたい。むしろそれは、歴史の移行期における現実と精神性の緊張であり、ときに、その均衡が精神性にと傾斜すれば、宗教的創造としての側面を強調しなければならないものとして考える必要があるのかもしれない。
澤井義次氏(天理大学)
宗教学は19世紀後半、近代西洋社会で成立したこともあり、宗教概念としての「祈り」はキリスト教的な概念的枠組みの中から汲み出されたものである。この研究発表では、現代宗教の動態を理解するうえで、「祈り」の概念の妥当性と有効性をめぐって考察した。この発表では、今日でもなお、宗教研究の中で引用されるF・ハイラー(F. Heiler)の古典的名著『祈り』(Das Gebet, 1918)を取り上げた。まず、ハイラーの宗教現象学の理論的特徴を簡潔に論じ、そのうえで、「祈り」の意味と構造を理解するためには、「祈り」の概念的枠組みを諸宗教現象の脈絡へ引き戻して批判的に再考していく必要性を論じた。
ハイラーの宗教現象学的研究は、いわゆる「祈り」を諸宗教の核心に据えることによって、西洋のキリスト教ばかりでなく、東洋の諸宗教の特質も理解しようとする点に、その方法論的な特徴があった。彼によれば、「祈り」の体験の内的構造は、超越的実在としての人格神と人間の相互行為として捉えられる。ハイラーの宗教論を貫く理論的基軸は、「祈り」こそが宗教経験の直接的な表現であるという点にあった。これは古典的な宗教現象学理論や近代宗教論を特徴づけるものでもあった。このようにハイラーの宗教理論の本質的特徴を述べたうえで、その理論的な問題点を論じた。彼は「祈り」を「儀礼」との二項対立的な視座から把握し、宗教の内的経験としての祈りとその外的表現としての儀礼的行為を対立させて捉えようとした。ところが、宗教の内的経験の優位性という価値判断を伴う先入観から、祈りを儀礼と識別すべきではないことは、現代日本の祭りやヒンドゥー教のバクティなどの具体的宗教現象に注目すれば明らかである。
また宗教現象において、「祈り」は個人の「自発的な祈り」から、儀礼における「祈りのパターン」に至るまで、きわめて幅の広さがある。具体的な祈りは、祈りの自発性と祈りのパターン性という両極のあいだを揺れ動く。「祈り」の意味と構造を検討するとき、「祈り」の多義性を認識する必要があることを指摘した。さらに、ハイラーが提示した「祈り」の概念的枠組みを、現代の宗教学のおもな研究動向の中でも、特に聖典論の地平から再検討を行なった。近年の聖典論では、従来の聖典論のモデルとなった「書かれた聖典」のほかに、「語られる聖典」が注目されている。それは例えば、ヒンドゥー教や仏教の伝統において、師から弟子へとパロール的な状況の中で継承されてきた。聖典の口頭伝承性という事実に注目すると、祈りと言葉の関わりが新たな地平へと引き出される。「語られる聖典」に関する具体的な宗教現象は、インドの宗教伝統以外にも、イスラームの『コーラン』や天理教の原典「みかぐらうた」の暗誦などにも見られる。こうした「語られる聖典」の特徴は、「祈り」に関する従来の宗教研究では、ほとんど本格的に研究されてこなかったが、現代宗教を理解するうえで不可欠な視座であろう。