宗教共同体や宗教者が公共圏にどのような仕方で参与するかという問題は、本学会における根本的テーマの一つであるが、このテーマは、ポスト世俗化時代と言われる今日、公共圏そのもののあり方から考察される必要がある。
「公共圏」とは公的な事柄について多くの人々が互いに平等な立場で自由に議論する社会空間であり、公共圏の成立とともに近代市民社会が成立したというのが、私たちの共通の理解であろう。世俗化論が盛んな時期に、世俗化とは「宗教全般の消滅」を意味するのか、それとも「宗教の私事化(見えない宗教)」にすぎないのかなどの議論があった。1979年にイランイスラーム革命が起こり、東西冷戦の終焉に伴い各地の宗教紛争が目立ち始めると、宗教の復興と言われるようになり、世俗化論は低迷し消滅した。「公共圏の宗教」は、宗教の私事化への異論として議論され始めた経緯もある。「世俗化」と同様に、「公共圏」や「公共圏の宗教」の概念についても、それが普遍的モデルなのか、キリスト教特有のモデルなのかといった議論が分かれている。
日本では公共圏が未発達であることが以前から指摘されてきたが、そのときに引き合いにだされるのが「世間」である。「世間」について、井上忠司は「ナカマウチ」から「アカのタニン」へと広がる同心円的な重層構造をもつものとして説明し、阿部謹也はヨーロッパ中世において支配的であった非合理的な社会と重ね合わせつつ、個人が集団のなかに埋没した社会空間を意味するものとして説明しているが、日本の生活に溶融した宗教文化や仏教の出世間との関係など、宗教の問題連関から考察されるべき点は多く残されている。
「公共圏」と「世間」との関係は宗教間対話の相すら帯びてくる。 「公共圏」と「世間」を宗教の観点から改めて問い直すことを2021年度の研究テー マとして設定し、宗教者の社会的実践についてのより深い考察へとつなげたい。会員の積極的な発表と議論参加を期待したい。