学会の活動

公開講演会

宗教倫理学会特別講演会

近代以前の日本における宗教と医療 

日時
2023年12月9日(土)14:00~16:00
場所
龍谷大学大宮学舎 西黌2階大会議室
講師
カティア・トリプレット氏
(ドイツ・マールブルク大学・連携教授・宗教学、ライプチヒ大学上級研究員)
司会・コメンテーター:澤井義次(研究プロジェクト委員長・天理大学名誉教授)

231209宗教倫理学会特別講演会チラシ

 

 

特別講演会報告

  講演会の開催に当たり、まず、会長の宮本要太郎氏(関西大学教授、宗教倫理学会長)が開会の挨拶をおこなった。引き続き、司会の澤井義次氏(研究プロジェクト委員長、天理大学名誉教授)が、講師のカティア・トリプレット氏(マールブルク大学・連携教授、ライプチヒ大学上級研究員)を紹介した。トリプレット氏はパワーポイントを使用しながら、日本語で講演をおこなったが、講演に先立って澤井氏は、本日の講演では、今日では不適切と考えられる語が用いられるかもしれないが、それはあくまで宗教研究を意図したものであるとして事前に了解を求めた。

 ここでは、トリプレット氏の講演「近代以前の日本における宗教と医療」の要旨を記載したうえで、講演後のコメントおよび全体討議のおもな内容を報告したい。

 

カティア・トリプレット氏の講演要旨

 トリプレット氏は講演において、近代以前の日本における宗教と医療の複雑な関係をめぐって、いわゆる「障害」の意味を宗教研究と障害史研究の視点から捉えなおそうと試みた。同氏は近代以前の日本における宗教と医療の複雑な関係を、宗教研究と障害史研究の視点から、具体的な史料にもとづいて論じた。

 1970年代の障害者人権運動の結果として、障害史研究という分野が誕生したが、それは時代ごとの社会秩序の形成過程に関する新たな洞察を提示しているという。現代の障害史研究によれば、「機能障害」と同様に「身体障害」も社会的に構築されたものである。その形成過程には、健常者と障害者の区別に影響力をもった宗教的な慣習や世界観も含まれている。この講演では、トリプレット氏の最新の著書『日本における仏教と医療』(Buddhism and Medicine in Japan  2019年)の中から、一つのケーススタディを紹介し、近代以前の日本における宗教思想や宗教的慣習のあり方について検討した。

 そのケーススタディとは、琵琶法師(琵琶を演奏する盲目僧)に関するものであった。何世紀にもわたって、琵琶法師は絵画や文献の中で描かれてきた。ステレオタイプ的に琵琶法師は、孤独で哀れな者として、神秘的で恐ろしく潜在的に危険な者として、あるいは、滑稽な者として描かれている。この講演では、これらの固定的なイメージを、近代以前および近代初期の日本における身体障害や機能障害に関する宗教的な考え方や慣習、および社会的慣習のコンテクストにおいて分析した。そうした時代では、専門知識や技能は家族内で受け継がれていたために、社会的な移動は非常に制約され、職業の選択にも影響を与えていた。ただ例外と言えば、それは視覚障害のような特定の身体的条件を持つ人々に限定された職業であった。構成員を搾取から守り、より高い社会的地位や富を得ることを可能にする座(当道座) が生じた。トリプレット氏は講演において、史料における琵琶法師の描写や、このテーマに関する現在の研究状況について考察した。

 

コメントおよび全体討議

 トリプレット氏の講演の後、コメントと全体討議がおこなわれた。その際、那須英勝氏(龍谷大学教授)が全体討議の通訳を務めた。まず、澤井氏が講演内容に関するコメントをおこない、この講演がもつ宗教学的意義に言及した。わが国の宗教研究では、障害史研究の視点と連関させて、いわゆる「障害」(disability)の意味が、これまでほとんど掘り下げて研究されてこなかった。ところが今回、そのことが具体的に講演の主題として取り上げられたことは大変意義深いと澤井氏は述べた。そうした意味でトリプレット氏の講演は、今後の日本宗教研究において、時代を先取りした、新たな地平を拓く講演であったとコメントした。

 そのうえで、澤井氏は次の二つの問いを提示した。まず、仏教の教えにおいて、「障害」とは何を意味するのか、あるいは何を意味してきたのか。またトリプレット氏は障害者や病人などの救けられる者のほうが救ける側の僧侶よりも優れていると述べたが、その言述には、どういう理論的根拠があるのか、いう問いであった。それに対して、トリプレット氏は仏教では、老病死の三つが苦であると説くが、ブッダは病苦を癒す〈医師〉とみなされる。また実際、古代インドの僧院では、僧侶が医療行為をしていたし、僧院がホスピスのような役割をもっていたことが知られている。日本に仏教が伝来すると、僧院での医療行為は僧侶や尼僧に対してだけでなく、地域の人々にも提供されたと述べた。仏教の教えでは、「障害」は過去世からの宿業という概念で説明される。たとえば、中世の仏教では、歩けない人は前世の報いであると説明されたが、そうした説明を受ける者は大きなスティグマを負うことになった。また僧侶や尼僧になるには、健常者であることが不可欠であったと回答した。第二の問い、すなわち、救ける者と救けられる者の関係が逆転しているのでは、との問いについては、大乗仏教の伝統では、他者を救ける機会を与えられていることが前提になっている。慈悲の実践は内省的な行為であるが、具体的に人を救けることがその基盤になっていると回答した。

 その後、参加者による全体討議がなされ、活発な議論が展開された。まず、最初の問いは、トリプレット氏が琵琶法師の座などの組合を肯定的に評価しているのかというものであった。その問いに対して、トリプレット氏は琵琶法師の組合が社会的に自立できるものであったという意味で、肯定的に評価してもよいと思われると回答した。彼らは視覚障害をもつ者として、明らかに健常者とは区別され疎外されていたが、宗教学的にみれば、たとえば、目の見えない巫女などの女性は目が見える者には見えない霊的なものを感知することができた。こうした目の見えない人の特殊な能力については、今後、掘り下げた分析が必要である、とトリプレット氏は述べた。また、近代以前の日本社会に見られるような身体障害者の組織が、近代以前のヨーロッパにも存在したのかとの問いが提示された。それに対してトリプレット氏は、自分は中世ヨーロッパの宗教が専門ではないが、障害史研究の会議に出席した折、イベリア半島には、視覚障害の同業集団が存在し、日本社会の同業組合とよく似た宗教現象が存在したとの研究があると回答した。

 さらに光明皇后がハンセン病患者の世話をしたところ、その患者が最後に阿閦如来となったとの奇跡の話を、トリプレット氏は具体的な事実として取り上げたことについて、フロアーからコメントが提示された。それは僧侶が俗信徒に対して、慈悲の行為の大切さを教えるための一つの方便であったと解釈できるのではなかろうか、という批判的なコメントであった。そのコメントに対してトリプレット氏は、この奇跡の話は12世紀ごろまで遡るが、確かに当時の状況に照らして、この話を「方便」という概念で考えると意義深いように思われると応答した。

 さらに、仏教が医療的に身体障害者を支えたのは、日本仏教ばかりでなく、他地域の仏教にも見られるのかとの問いが提示された。その問いに対して、韓国にも、永井彰子『日韓盲僧の社会史』葦書房, 2002年が示しているように、盲僧の組織があると回答した。さらに近代以前の日本において、琵琶法師は病人として見られていたのか、あるいは障害者として見られていたのかとの問いが提示された。その問いに対してトリプレット氏は、琵琶法師のイメージは多様であったが、そのイメージを理解するには、今日、私たちがもっている「障害」に関する視点を琵琶法師に当てはめるのではなく、その時代のコンテクストにおいて、当時の人々の言葉とその意味を理解しようとする姿勢が重要であると回答した。その当時、用いられていた言葉は、今日では用いてはならない言葉になっているが、宗教学と障害史研究の視点から、「障害」の意味を研究する場合、出来るだけ当時の言葉にもとづいて理解することが大切であると述べた。

 最後に「健常と障害の境界」という翻訳の言葉をめぐって、それは健常と障害との「境界」と表現するよりも「スペクトラム」と表現するほうが適切なのではなかろうかとの問いが提示された。その問いに対してトリプレット氏は、マールブルク大学の同僚のラモーナ・イェリネク=メンケ(Ramona Jelinek-Menke)が「健常/障害」(dis/ability)と表現しているように、健常と障害は不可分に繋がっており、それらを連続性のなかで捉えるほうが適切であると回答した。

 以上のように、参加者のあいだで活発な全体討議がおこなわれたが、それは従来の宗教研究に新たな地平をもたらす示唆的かつ濃密な内容の議論であった。