コメンテーター:小田淑子氏(元関西大学教授)
司会:那須英勝氏(研究プロジェクト委員長・龍谷大学教授)
協力:龍谷大学世界仏教文化研究センター応用研究部門、人間・科学・宗教オープンリサーチセンター
入場無料・事前申込不要
2026宗教倫理学会講演会チラシ(PDF)
2026年3月7日(土)14時より、龍谷大学大宮学舎・清和館3階ホールを会場として、才脇直樹氏(奈良女子大学副学長)による公開講演会「技術史的観点からみたAIの実情と神職の事情」を、龍谷大学世界仏教文化研究センター応用研究部門、人間・科学・宗教オープンリサーチセンター協力のもと開催した。
まず、本学会会長の井上善幸氏による挨拶と趣旨説明ののち、才脇氏の講演が行われた。講演では、AI(Artificial Intelligence)テクノロジー開発の黎明期より関連研究に携わってこられた経験を踏まえつつ、工学分野の研究者であり、かつ神職という地域社会に根付いた宗教活動をされている才脇氏が、ご専門のヒューマンインターフェースや人間情報学の研究に対してどのように捉えられてきたのかなど、ご自身の科学者としての研究活動と神職の実践の両面から語られた。
近年、AIおよびその関連技術の目覚ましい進歩は、社会的にも大きな注目を集めているが、過去においては実用性に乏しい技術の象徴とみなされ、また「AI」という語自体が忌避される、いわゆる冬の時代が幾度となく存在した。才脇氏は、本講演では、そうした研究に対する評価の変遷と紆余曲折を経て、AIがいかにして再び関心の中心へと浮上してきたのかを、技術史的観点から映像資料等を示しつつ概説され、現在の進化したAIの評価も述べられた。
結論として、才脇氏は「AI」は確かに人間を上回る速度の情報処理能力を持っているが、それはあくまでも科学研究によって開発された実用的なツールの一つであり、そのテクノロジーの本質はあくまでも「人間が用いる技術」であると強調された。また、「人間が用いる技術」としてのAIが戦闘行為の作戦立案にも利用されている例を挙げ、すでにAI利用に様々な倫理的課題が生じていることも指摘された。これらの問題提起を通じて、AIについて宗教倫理学の視点から今後検討を深めていく必要があると強調され、同時にAIを手がかりに人間および宗教理解をより深める可能性と希望があることも述べられた。才脇氏がこの講演で強調されたのは、AIを使う人間の姿勢やあり方だということだった。
一方で、才脇氏は自身が神職であること自体が、直接技術的な意味でのAI研究と結びつくものではないが、その立場ゆえに、神道をはじめとする既存宗教とAIとの関係、さらにはAIといかに向き合うべきかを多角的に問い直す機会に、苦労しつつも恵まれてきたことを、具体的な経験を踏まえて紹介された。また、神職を務めるいきさつに関して、才脇氏は生成AIを用いて実家の歴史のまとめを作成し、それを示しつつ説明された。氏の実家は南北朝時代以前から村落を取りまとめつつ時代に応じた様々な社会勢力との調整や、京都に向かう尾根筋の里道管理を務め、その立場から村の小さな神社を祀りつつ維持する役割を兼ねていて、祭礼儀礼を行ってきた。才脇氏はその役割を現代でも続けているだけで、氏にとって神職は「地域共同体の構成員として果たすべき当たり前の生き方で、特別な振る舞いや考え方を強いるものとは感じていない」とも述べられた。
才脇氏の講演に続いて、レスポンデントの小田淑子氏(元関西大学教授)が次のようなコメントと質問をされた。
才脇氏の講演は、AI技術の進化と便利さを講演の中でその実例を示した上で、恐れずに上手にこの技術を使えばいいが、利用する人間の姿勢やあり方が大事だと強調された。それは人柄、人となり、総合的人間力とも言えるだろう。この力をどこでどのように育てるか、その教育こそが問題だと思う。才脇氏の神職はご実家の歴史、地域社会での地位と役割に密接に結びついており、ご自身では「当たり前の生き方で、特別な振る舞いや考え方を強いるものとは感じていない」と表現された。小田氏は、ここに「宗教を宗教と意識せず、当たり前とする生き方に浸透した宗教」があると指摘された。この意味での宗教が、総合的人間力を育てるのにどう作用してきたか、また現在と今後の人間教育はどうすればいいのかを考えることが大問題だとも述べられた。これらの点について、才脇氏自身がどのように考とておられるかを問い、コメントした。
小田氏の質問に対し、才脇氏はご自身の育った環境の特異性を認めながら、例えば、神職に求められる誠実さや清明心は、研究者としての倫理観をはじめ、研究目的や方法論、社会実践や組織運営から日常生活に至るまで一貫して強く反映している、とのことで、理系の研究者と神職の役割を矛盾と感じずにご自分の生き方に共存していると述べられた。また、これが伝統的な地域社会における人間教育の一例だとすると、地域社会が失われつつある現在、これからのコミュニティの在り方が問われるのではないか、との考えを示された。
小田氏のコメントの後、会場の参加者からの質問を交えた全体ディスカッションが行われた。蓄積された情報に基づいて判断を下すAIと、体験に基づいて行動する人間の宗教的知性との違いを明確化する必要性についての指摘もあった。また宗教の場でAIが活用されている例として、ブッダボットが話題になった。ブッダボットには厖大な仏典がデータとして与えられ、利用者は教義や相談を問いかけると、ブッダボットがデータから答の言葉を選んで伝える。才脇氏は、この例ではデータも質問も言語でなされるので、AIに適した事例だが、神道には聖典もなく、神職は人々に言葉で答えを与えるより、様々な儀礼を行う場合が多い点で、仏教と神道の相違があるように思うと述べられた。また神道の神は一神教の超越神とは異なり、人々と「共にある存在」と理解されており、このような神道的な視点からはAIが神の領域に踏み込むことを危惧するのではなく、人の良きパートナーとしての存在でありうると見ることが可能であるだろうという意見も発せられた。
最後に、参加者とのディスカッションを通して才脇氏は、現状では、宗教学や情報学など各分野の研究は、それぞれ個別に進められてきたが、AIとその関連技術の進歩により、今後は文理融合的な研究の可能性が一層高まることへの期待を述べられて講演会が締めくくられた。