学会の活動

公開講演会

2025年公開講演会

現代日本社会における宗教とジェンダー ―公共圏と親密圏のあいだ―

日時
2025年3月8日(土)
場所
龍谷大学大宮キャンパス 清和館3階ホール
講師
猪瀬優理氏(龍谷大学社会学部教授)

コメンテーター 竹下ルッジェリ・アンナ氏(京都外国語大学教授)
司会 那須英勝氏(研究プロジェクト委員長・龍谷大学教授)

講演会チラシ

JARE2025publiclecture250308

 

講演会配布資料

JAREpubliclecture2025resume.pdf

 

 

 

講演要旨

 宗教はこれからの社会において、どのような「はたらき」を果たしうるだろうか。
 これまでの社会の中で、多くの宗教が人びとを性別をもとに不平等に配置する「ジェンダー秩序」の形成と維持に加担してきたことは否定できない。他方で、宗教が既存のジェンダー秩序を含めた権力関係を伴う秩序を相対化する見方を提供し、虐げられる立場に置かれた人びとに対して希望を提供してきた側面もある。
 そこで、今回は家族のあり方と宗教とのかかわりの視点から、宗教の担いうる「はたらき」について問うてみたい。というのも、近代国家のジェンダー秩序は性別役割分業を前提とする家族を基礎単位として形成されているからである。具体的には、親が所属する教団に選択の余地なく巻き込まれる子どもたち(2世)や、子育てなど「ケア」の担い手が置かれている状況における宗教の「はたらき」を確認したい。

 

 

講演会報告

 

 

 猪瀬優理氏は冒頭で、講演会が開催された 38日が「国際女性デー」であることにちなんで、伊藤セツ氏の著作を参照しつつ、20世紀初頭のアメリカの社会主義運動、女性参政権運動の中で女性デーの活動が始まり、1995年北京世界女性会議を機に国連が38日を「国際女性デー」と定めるまでの歴史を振り返りつつ、「北京宣言と行動綱領」採択から30周年にあたる2025年において、なぜ、いまだに「すべての女性と少女のための権利、平等、エンパワーメント」を叫ばなければならないのか、という問いを投げかけた。その後、本題に入った。

 

 宗教はこれからの社会において、どのような「はたらき」を果たしうるだろうか。現代に至るまでの日本社会の中で、多くの宗教が性別をもとに⼈びとを不平等に配置する「ジェンダー秩序」の形成と維持に加担してきたことは否定できない。しかし、その一方で、宗教が既存のジェンダー秩序を含めた権⼒関係を伴う秩序を相対化する⾒⽅を提供し、虐げられる⽴場に置かれた⼈びとに対して希望を提供してきた側⾯もある。本講演で猪瀬優理氏は現代日本社会における宗教とジェンダーの問題をテーマとした。

 このテーマを考えるための手がかりとなる四つのキーワードとして、「ジェンダー秩序」「近代家族」「公共圏と親密圏」「ケアの倫理」を取り上げ、性別役割分業を前提とする家族を基礎単位として形成されている近代国家のジェンダー秩序の中で、家族のあり⽅と宗教とのかかわりの視点から、宗教の担っている「はたらき」を確認し、また現代社会で問題となっている、親が所属する教団に選択の余地なく巻き込まれる⼦どもたち(2世)や、⼦育てなど「ケア」の担い⼿が置かれている状況における宗教の「はたらき」のあり方について、具体的な例を挙げつつ検証がなされた。

 

 現代社会における「ジェンダー秩序」は、性の二分法、異性愛主義、男性優位・中心で男女の間の「性支配」関係を前提とするものであり、また多くの宗教はそれを生成・維持・正当化する役割を果たしてきた現実がある。日本仏教においても、これは歴史的に伝統的で大規模な仏教教団が圧倒的な男性社会であることに如実に示されている。しかし小規模な宗派や仏教系の新宗教においては、女性教師比率が高いというデータを示し、またそのほかの新しい宗教などの例を挙げつつ、社会の変化に対応して組織のあり方を変えていける宗教組織は宗教組織におけるリーダーシップの意味合いをこれまでの男女の二分法、性別特性論に基づいた性別役割論から変えていける可能性を持っていることを示す。もちろん、それぞれの人がそれぞれに身体を持って生まれてくるのであり、性別がないことを前提とした社会をつくることは適切とは言えない。しかし、現代社会においては、性の二分法に基づく性支配の「ジェンダー秩序」だけが、ありうるジェンダー秩序であるはずがないとして、性二分法と性支配のない「ジェンダー秩序」の構築の可能性を示唆した。

 

 猪瀬氏は、続いて、性の二分法に基づく性支配の「ジェンダー秩序」の維持装置として機能している「近代家族」のあり方について、「核家族」のユニットに人びと(特に、女性と子ども)を閉じ込め、人間としての権利を奪う、不平等・不公正が内包された集団であると指摘する。近代家族はそもそもその既定の構造からして不平等で不自由なのである。そのコントロールの権限を多く握っている立場にあるもの(男性)が、この点に無自覚であり続け、ケアを軽視し、自分中心のふるまいをし続けるならば、そのもとにある人達の尊厳は十分に守られない。この点が宗教に反映された具体的な例として、現代の仏教寺院における「寺族」「坊守」に関する宗法の規定が「寺族・坊守」を「寺院」でなく「住職(僧侶)」に「所属」するものとする大前提の下に制定されていることや、キリスト教会における明文化された役割を持たない「牧師夫人」などの例を取り上げた。この構造をもつ寺院や教会においては、イプセンの『人形の家』のノラのように表面上幸福に明るく生きていても、実は、「男性聖職者の家族」は、個人としての尊厳が傷つけられ続けていることを意味する。

 

 さらに次のキーワードである「公共圏と親密圏」について、宗教は、公共圏と親密圏の双方にまたがり、次世代を社会につなぐはたらきをする可能性があると指摘する。この指摘は、落合恵美子氏によるグローバル化の観点を踏まえたアジアを中心とした実証研究の知見とハーバーマスの『公共性の構造転換』を手掛かりにした公共圏とその対比としてあらわれる親密圏にかんする理論的な整理を参照している。その上で、この指摘を現代の「宗教2世」問題にも関連付けた。人間は長らくコミュニティにおいて複数がかりで一人の人間をコミュニティに適合する大人となるよう育成してきた。しかし、近代になってから、資本主義体制を支えるためにケアが家族化された。しかし、それはあまりにも無理のある社会設計であった。そのため、現在、ケアの脱家族化が進んでいる。現代社会における「宗教2世」問題の発生は「近代家族」の「親密圏」の中で行われる母親業の困難性(あるいは、「子どもとして生きる」ことの困難性)のなかにあるのではないかと論じ、母子の親密性(ケア関係)を基盤とした「家族観」(社会保障の単位)への変革の必要性を訴える。

 

 最後に猪瀬氏はフェミニスト思想を専門とする政治学者の岡野八代氏の『ケアの倫理』を紹介しながら、「ケアの倫理」の核心には、ケアを担う女性たちの声が耳を貸すに値しないものとして扱われてきたことに対する異議申し立てがあることを確認し、現代日本社会の伝統的な宗教組織(寺院や教会)において、「女性」が構造的に正式なメンバーとして組み込まれていない現実の改革の可能性について論じる。猪瀬氏は「社会の変革/維持」にたいして宗教は力を持っているとし、先に取り上げた「坊守」(牧師夫人)の例は、寺院(教会)運営を含めた「ケア」全般を「親密圏」(家族)にあるものとしてきた伝統的な宗教組織の「ジェンダー秩序」が問われている事例であることを指摘する。また「宗教2世」の例は、主に母親が、子どもをこの社会(公共圏)に適応する=「よりよく育てる」ための手段として、宗教を活用しようとした例の一つと見られ、その背景には、全体的な社会構造が有している問題性(例えば家父長制構造)を増幅する/あるいは悪用する装置としての宗教集団が存在しているとする。したがって、「宗教2世」としての「子ども」はその中で真っ先に犠牲となる「脆弱な(傷つきやすい/傷つけられやすい)存在」となるのである。「ケアの倫理」は、基盤となる社会構想自体の変革の必要性を指摘している。宗教は、現状は社会変革を抑止する方向に働いている例が目立つが、その一方で宗教は、ケアの倫理の実践を通して、不公正を解消する変革を促す「はたらき」も果たすことができるのではないか。宗教はこれからの社会において、どのような「はたらき」を果たしうるだろうか。と、講演会の聴衆に改めて問いかけて、講演はしめくくられた。

 

 猪瀬氏の講演の後、休憩を挟んで、竹下ルッジェリ・アンナ氏からのコメントと会場参加者との質疑応答の時間が取られた。イタリア出身の竹下氏は、まずイタリアの3月8日の女性の日の思い出と、誰もが摘んで渡せる、非常にありふれたミモザの花が第二次世界大戦終結後の1946年から女性の日のシンボルに選ばれたのかについて、そのエピソードを紹介したあと、教育の場において宗教学の視点からのジェンダー研究の果たすべき役割について問いかけた。特に既存の社会システムに対して批判的な研究であるジェンダー論に対しては、国際的にみても福音主義キリスト教や保守的なカトリック教会が優勢な地域では非常に困難なことも知られているのであること指摘した。また現代日本の伝統的な仏教寺院では、女性の住職の数も少しずつ増えているが、相変わらず住職が男性であることがノーマルという前提で運営されている点を指摘した。

 

 これに対して、猪瀬氏は、伝統的な宗教はどちらかというと、社会変革を抑制する方向に働いており、宗教の研究・教育を通してそれを変えていくための具体的な応用の方法については、なかなか実現が難しいのが現状である、と認める。しかし、講演の中で話したように、ジェンダー論を学び現代社会が抱えた問題に気づいた人、特に組織の中で声をあげる力がある人によってあげられた声を聞き入れ、具体的な変革に結びつけていく動きを作ることは可能である。また、教育・研究に携わるものが「当事者の声を聞くことが現状を変えていくために必要な最初の一歩だ」という気持ちで研究・教育に携わることによって、教育を受ける人たちに世界の見方を変えていく視点を提供することができる、と考える。また、学校教育制度はある意味、社会をコントロールするための道具でもあるが、教育は学校教育だけではなく、学校という場を離れて提供される社会教育的なものもあり、そのような場において宗教が現状に対するオルタナティブな価値観や見方を提示していくことも可能である。特に伝統的な宗教が変革に向けた価値観を提示していくのであれば、その役割を果たせる可能性は高いと考えている、と返答した。

 

 続いて、聴衆との質疑応答があり、猪瀬氏に「宗教が男性優位のジェンダー秩序の形成と維持に加担してきたのはなぜなのか、それは教義自体に問題があるのか、または宗教界に対する世俗社会の影響として家父長制の浸透が考えられるのではないか」という問いを中心に、さまざまな問いが投げかけられた。これに対して猪瀬氏は、社会学者としては、シンプルな説明はできないのだが、やはり宗教も現実の社会の中に存在し、その組織は現実社会との応答をしながら、人々が求めるものを作り上げてきた現実がある。宗教2世の問題について取り沙汰されている教団についても、非常に厳格な家父長制に基づいた組織になっている。しかし宗教界の中での家父長制について、人々が疑義を唱えるようになれば、その状況は変革できるのではないかとする。ただし、現実の問題として、お寺の後継者という具体的な問題と、理想のお寺のあるべき姿への変革を一度に実現することは厳しい。確かに、伝統宗教は百年単位で継承してきた伝統の強さを持っているが、それを現代社会の変容と整合性をとった組織にするためには、宗教集団として何が本質かを見極めていき、核となる部分を守りつつ大胆な改革することのできる人たちが教団のトップレベルでかじ取りをすることが必要なのではないか。今後、ダイバーシティの課題は日本の宗教界でも大事になってくると思われるため、教団組織の意思決定のレベルで検討していく必要がある。また組織の変革という点については、伝統的な宗教教団と比較して、いわゆる新宗教の教団の方が、組織の改革を含めて、現代的な課題に対してはフットワークの軽さを持って応答できていると見ている。

 

 最後に、本学会会長の井上善幸氏から、本日の公開講演会の開催に対して、講師の猪瀬氏とコメンテーターの竹下氏の両名に対して、本学会の活動に大きな刺激となる問題提起をいただき、かつ参加者からの具体的な事例に基づいた質問に対しても丁寧にお答えいただいたことへの謝辞が述べられた。