JARE学術大会2024プログラム(PDF)
JARE学術大会2024ポスター(PDF)
講演題目「悟りと自由――鈴木大拙の論をてがかりに」
講師:水野友晴(関西大学教授)
会場:関西大学千里山キャンパス 第1学舎4号館 D401教室
公開講演に際して、まず、宮本要太郎氏(宗教倫理学会会長、関西大学教授)が趣旨説明と講師紹介をおこない、水野友晴氏が以下のような講演をおこなった。
水野氏の講演は、鈴木大拙による「自由」論の文脈をたどりつつその思想的特徴と意図について明らかにしようとするものであった。水野氏はまず、鈴木大拙の著作を読むとそのいずれもがある所懐から組み立てられたものであることに気づかされると述べ、それは東洋思想には西洋近代文明が採用しているものとは異なる「自由」概念があり、これを顕彰することは現代生活における困難さの克服や人間性の回復につながる、というものであったと指摘した。
これは大拙の思想の特徴、特にその実践的(行的)性格をよく表している。大拙の「自由」論にあっては西洋近代文明に暮らす現代人の生ということに視点が強く置かれており、厳密な訓詁注釈というよりも、東洋の古典における「自由」概念を現代生活の視点からプラグマティックに応用することが強く意識されたものであった。したがってそれは「自由」概念の現代への移植の試みとして見ることができると同時に、「自由」概念に現代生活を照射して相対化する試みとして見ることができるものとなっている。
ただし、大拙の「自由」論が西洋近代文明への応用に限定して主張され、普遍性がそこに認められない個別的なものであったかといえば、そうではなく、そこにはむしろ一貫する性格があり、むしろその普遍的視座からの対処が西洋近代文明下におけるわれわれの生に対しても等しく施されるという構図になっていると水野氏は言う。その性格は「慈悲」と大拙によって呼ばれている。かくして大拙の「自由」論は、われわれが「慈悲」行を実践することを通じて西洋近代文明下の生における「不自由」から「自由」へと移行することが可能となるということを主張する内容で展開されることとなったと水野氏は語った。
以下、講演の内容に沿って、西洋近代文明下における人間の「不自由」、大拙の語る「自由」と「慈悲」行、さらに「自由」を悟ることについての大拙の見解、これらについて簡単に示す。
大拙によれば、西洋近代文明の思想的特徴は、自と他を分け、主観と客観を分け、原因と結果を分けるといった二分的性格にある。これによって西洋近代文明は合理的かつ科学的な知識を積み上げるに至ったが、それは同時に事物が概念的知識によって支配されるという状況を開くものでもあった。概念やモデルが事物に対して優越して扱われる状況が訪れたのである。これが工業化や大量生産を可能にした一方で、人間に対してはその個性をそのままに発揮することを奨励せず、概念的知識やモデルに沿う姿や行動を人間に強制することになった。このことを大拙は、人間が人間たろうとすることを奪われ、規格化された部品の如くあることを要求される「不自由」の蔓延として捉えている。
これに対して「自由」は、大拙にあって、「天地自然の原理そのものが、他から何らの指図もなく、制裁もなく、自ら(おのずから)出るままの働き」、「松は竹にならず、竹は松にならずに、各自にその位に住すること」と提示された。この「自由」理解に基づいて人間の「自由」とは何かと探せば、「人間は煩悩に責められる娑婆にながらえて、「不自由」のなかに、自由自立のはたらきをしたいのだ。ここに人間の価値がある」との大拙の主張に注目が集まる。つまり人間の「自由」を、「不自由」な現状に対して自分にも何かできることはないかと率先して働きかけることに大拙は見たことになる。
この働きかけの行いは大拙によって「慈悲」と呼ばれた。彼のいう「慈悲」行は「不自由」への対処のため持てるものを惜しみなく提供する行動であり、そのことを通じて固定観念や従来の文脈から外された大胆な応用もそこから生じてくる。すなわち「慈悲」行は、制限の枠が外されてこれまでは気づかれることのなかった新しい可能性が発見され、そのことによってそれが有していた潜在的可能性が惜しみなく発揮されてゆく営みという性格を有している。また、「慈悲」行は結果や報酬を求めない「無功用」行だと大拙は語る。それは「慈悲」行が、働きがみずからに返ってくるか、みずからに利益をもたらすかという了簡からではなく、「大変だ、何とかしなければ」という自他の区別を超えた所に発する行いであるからである。その意味で「慈悲」行は、自他の区別を超えて賛同者、協力者、継承者を獲得し、周囲をつなげた大きな運動へと成長してゆく。最終的にはそれは天地を覆う巨大な一体的運動へと帰入してゆく。かくして「慈悲」行を行ずることで、人は「天地自然の原理が制限なく発揮される」「自由」なる働きに浴することになる。すなわち「慈悲」行は現代の人々に「自由」を味わう可能性を提供するものであることになる。
「慈悲」行を通じて現代世界の人々が「自由」を味わうことを得るのであれば、「不自由」は「不自由」であると同時に「自由」への入り口でもあることになる。すなわち「不自由」の裏面には「自由」が控えており、目のある人は「不自由」の中に「自由」が現われていることも看取する。この看取、すなわち覚(悟り)の問題について、水野氏はそれは自分が気づくというよりは、基本的に向こうからやってきて気づかされるという性格のものとして大拙において捉えられていたようだと述べつつ、しかしそうした悟りを得て「自由」に「慈悲」行を行じている人に接することで、悟りは彼の周囲にも拡がってゆくと大拙は捉えていたと主張する。そこで、ある人が「自由」を感得することは、その人に閉じられた事件なのではなく、その人を通じて周囲の人たちも「自由」を感得するきっかけを得てゆくという開かれた事件であるということになるとの見解を水野氏は披露した。
以上をうけて、最後に水野氏は、東洋的思想伝統に見られる「自由」の事例を現代世界の人々に紹介することは、これら「自由」の事跡に触れることで現代の人々が自身も「自由」に浴する道へと歩みを進めるきっかけを提供することであると大拙によって受け止められていたのではないかと主張した。そして、こう捉えることで大拙の「自由」論は、東洋思想には西洋近代文明が採用しているものとは異なる「自由」概念があり、これを顕彰することは現代生活における困難さの克服や人間性の回復につながるとする彼の所懐とも符合し、むしろこの所懐からの大拙による具体的実践の行として位置づけることができると水野氏は結論づけた。
水野氏の公開講演会の後、引き続いて酒井真道氏(関西大学教授)の司会のもと、末村正代氏(南山宗教文化研究所・研究員)のコメント、および参加者全員による質疑応答がおこなわれた。
まず、末村氏はコメントにおいて、鈴木大拙の禅には、坐禅などの「行」、実践的な要素が希薄だったのではないかとの見解を述べて、水野氏の鈴木大拙理解について確認した。水野氏が講演のなかで、大拙の「悟り」には言及したが、「禅」に触れなかったことから、大拙にとっての「悟り」と「禅」がどのように関わり合っていたのかを尋ねた。また大拙にとって、「自由」と「不自由」はいかなる関わりにあったのかという問いを提示した。
末村氏のコメントおよび問いに対して、水野氏はまず、「自由」と「不自由」の関わりについて、大拙が「不自由」を転じて、「不自由」がそのままで「自由」になると考えていたと思われると回答した。ただし、「不自由」は実際に「不自由」であるとの認識にもとづき、そうした認識が「自由」への入口になるとも述べた。そのうえで水野氏は、大拙における「行」の意味あいに触れた。大拙にとって作務も托鉢も実践であったので、「行」を坐禅だけに限定することは適切でないように思われると回答した。また講演では、水野氏は講演において、「禅」の語には言及しなかったが、慈悲行は何のために実践するのかという出発点に立ち戻ることによって、本来の精神に戻ることができるとし、そうした実践を大拙は「行」と呼んだと述べた。ところで、後期の大拙の特徴は、主体性とか自由の回復を強調した点にあったとも述べた。
その後、フロアーとの質疑応答がおこなわれた。まず、欧米で言われるSuzuki Zenとは何かとの問いが提示された。その問いに対して水野氏は、大拙は聴衆に何を届けることができるかという関心に基づき、禅を説いたと回答した。また末村氏は、それは「思想禅」とでも言えるものであって、現在、欧米で主流となっている実践中心の禅との間には隔たりもあると述べた。だからこそ、大拙の禅思想は音楽や美術や建築など、他の分野にも波及していったと考えられるとも付け加えた。そうした点に注目すると、禅堂を開いて坐禅を指導するのが宗教者の実践だとすれば、大拙は研究者であったのかとの問いが提示された。その問いに対して水野氏は、大拙は決して布教したわけではなく、彼自身が理解したかぎりでの仏教思想を同時代の人々に説いたと言えると回答した。また当時、西洋の人々が大拙にどのような期待を寄せていたのかという視点から、大拙を捉えなおすと、エーリッヒ・フロムが大拙との共著『禅と精神分析』のなかで、今日、「神の死」の時代を迎え、人々がキリスト教の倫理や道徳に依拠できなくなったのに対して、東洋には西洋とはちがう文脈の知恵があると語ったとも述べた。
さらに大拙は、産業革命以後の工業化や大量生産技術は西洋からしか生じなかったと考えていたのかとの問いが提示された。その問いに対して水野氏は、それは西洋近代文明だけではなく、普遍的に人智が拓けてくるところには生起してくる、と大拙は考えていたように思われると返答した。ただその際、工業化や近代化を考えるとき、それは西洋の植民地政策も視野に入れないと、現実の把握を見誤るのでは、との意見がフロアーから提示された。
また「必然」と「自由」の関わりに関する問いが提示された。その問いに対して、水野氏は大拙が「自由」について語る言葉に注目すると、彼は偶然ではなく必然を意識していたと述べた。大拙は東洋的な自由には、政治的なものはないと語ったが、不自由を慈悲行によって改善していくことを、政治的なことに限定しないで、より広い視野から捉えようとしたと言えるだろうと述べた。次に大拙の二分性は、仏教の「分別」とどのようにちがうのかとの問いが提示された。その問いについて水野氏は、大拙が二分性について語るとき、「分別」を意識していた。彼は「無分別の分別」と言ったが、その語をはじめて用いたのは、上田閑照によれば、大拙が最初であった。大拙にとって、「無分別」と「分別」は同時に現われているのであって、両者は別々のものではない。そうした彼のものの見方は、伝統的な大乗仏教の思想とは異なる点であるかもしれないと述べた。
最後に、大拙が「来るべき世界文化なるもの」について、東洋文化と西洋文化の関わりをいかに考えていたのかという問いが提示された。その問いに対して水野氏は、大拙が言う「世界文化なるもの」はすでに到来しているのではないかと述べ、今日、そのことに私たちが気づいていないだけなのではなかろうかと付言した。大拙にとっては、「東洋」とは一元しかない世界、無限という意味あいが強く、その語の表現は多義的であったとも述べた。その場合、「東洋」とはインドや中国という地域で語られるよりも、老荘とか禅仏教などの思想コンテクストのなかで語られているとも述べた。
以上のように、鈴木大拙の禅思想をめぐって、興味深い公開講演の後、参加者による活発な質疑応答をとおして、充実した全体討議がおこなわれた。