学会の活動

学術大会

第24回学術大会

宗教の「自由」を再考する ―現代日本を中心に―

日時
2023年10月28日(土)
場所
龍谷大学響都ホール校友会館

宗教の「自由」を再考する ―現代日本を中心に―

JARE学術大会2023プログラム(PDF)

JARE学術大会2023ポスター(PDF)

 

 

『中外日報』11月1日の第1面に公開シンポジウムに関する記事が掲載されました。

中外日報社より転載の許諾を受けましたので、以下のPDFファイルで公開いたします。

 

中外日報』2023年11月1日第1面(PDF)

 

 

 

       第24回学術大会・公開シンポジウム報告

 

公開シンポジウム「宗教の『自由』を再考する現代日本を中心に

日時:20231028日(土)13:0016:00

場所:龍谷大学響都ホール校友会館

 

13:00~1310 趣旨説明  総合司会 澤井義次(研究プロジェクト委員長、天理大学名誉教授)

13:10~14:10 基調講演 小川原正道(慶應義塾大学教授)

 「権力・宗教関係から考える『信教の自由』」

14:25~16:00 シンポジウム

 登壇者 小川原正道(慶應義塾大学教授)

     小田 淑子(元関西大学教授)

     小原 克博(同志社大学教授)

     室寺 義仁(前滋賀医科大学教授)

 司 会 澤井 義次(天理大学名誉教授)

 

 公開シンポジウムの開会に際して、総合司会の澤井義次氏(研究プロジェクト委員長・天理大学名誉教授)が、まず、シンポジウムの趣旨説明とともに講師を紹介した。引き続いて、小川原正道氏(慶應義塾大学教授)が基調講演「権力・宗教関係から考える『信教の自由』」をおこない、その後、小川原氏を交えて4名のパネリストによるパネル・ディスカッションがおこなわれた。

 

 

小川原正道氏の基調講演

 小川原氏は、まず講演の冒頭で、近現代の日本において、「信教の自由」がどのように守られてきたのかについて、同氏の著書『日本政教関係史―宗教と政治の一五〇年』(筑摩選書、2023年)を紹介するとともに、「信教の自由」をめぐる思想史および「信教の自由」を守る模索の歴史を具体的な資料に沿って明らかにした。

 

 小川原氏によれば、明治から昭和戦前期にかけて合計4回、宗教法・宗教団体法案が帝国議会に提出され、1939 年に宗教団体法が成立・公布された。まず、1875年11月には、信教の自由について口達がなされ、「信教の自由」を承認しつつ、政治に対する宗教の貢献、人民善導と統治翼賛が義務化された。さらに1882年1月、官国弊社の神官と教導職が分離され、神官は葬儀や宗教活動に関わってはいけないとされ、教導職が約2年後に廃止された。そして18892月、大日本帝国憲法が発布され、第28条において、「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル」かぎりにおいて、「信教の自由」が認められた。

 最初に、宗教法案が帝国議会に提出されたのは1899年のことであった。この背景には、欧米列強との条約改正があった。欧米列強には、キリスト教を信仰する人々が多いこともあって、国内居住する外国人が信じるキリスト教を公式に認める内務省令第41号が発令された。そのことによって、それまで黙認されていたキリスト教の布教活動が正式に認められた。ところが、宗教には一定の監督が必要であるということから、第一次宗教法案が立案された。それ以前は宗教に関する包括的な法制がなく、各宗教が個別の法令で監督されていた。この法案は、信仰の内部には立ち入らず、信仰の外部に現われたものを監督するというものであったが、法案は貴族院で否決された。宗教法案は、仏教をキリスト教と同列に扱うものであったために、真宗大谷派が強く反対した。当時の総合雑誌『太陽』によれば、大谷派を中心に仏教公認教運動が展開されており、法案提出後、仏教各派が賛成派、修正派、反対派に分裂するなど、宗教界の動揺を招いた。

 次いで1927年、第二次宗教法案が立案された。当時、出口王仁三郎などが逮捕される第一次大本事件が発生し、この法案は「淫祠邪教」を排除して、既成宗教を保護するためのもので、政府の監督権限と宗教法制の整備がはかられた。ところが、宗教者のあいだから、政府の監督権限が強すぎるとの批判が起こり、その結果、審議未了で廃案となった。その法案には、内村鑑三などのキリスト者などが反対したばかりでなく、貴族院議員で元内務省神社局長であった水野錬太郎も反対した。また神社神道のあり方も、このとき議論された。たとえば、神道学者で東京帝国大学助教授であった田中義能は、宗教法案に賛成の立場を表明するとともに、たとえキリスト者であっても、学校の生徒には神社参拝する義務があると述べた。一方、正教会神学者の石川喜三郎は、神社神道も宗教であり、キリスト者が神社参拝を拒絶し、宗教と教育の衝突問題が発生するのは当然であると述べた。さらに宗教法案のなかに、寺院境内地が無償であったものを有償にするという条項があったが、真言宗の『六大新報』は、法案が宗教団体の幸福を削減するものであるとして反対した。

 ところが、政府は諦めることなく、2年後の1929年、第一次宗教団体法案を提出した。その間、1928年に天理研究会不敬事件が起こり、500名ほどが検挙された。こうした事件を契機として、宗教団体への統制が求められたが、この法案も審議未了で廃案となった。政府の監督権限に抵抗するために、日本基督教会の対宗教団体法案特別委員会が設けられ、それまでの仏教公認教運動の余韻もあって、宗教団体法案反対仏教徒同盟が結成された。

 

 さらに1939年、第二次宗教団体法案が提出され、成立した。この法案では、政府の監督権限が大幅に強くなったのが特徴である。宗教結社の設立は事後届け出制とされたものの、宗教団体については設立、規則変更、法人化、合併、解散に文部大臣または地方長官の認可が必要となった。また文部大臣が儀式・行事の制限・禁止・宗教団体の取り消し権をもつと規定している。その代わり、宗教団体には、宗教結社にはない所得税の非課税といった特典が与えられた。

 その当時、満洲事変と日中戦争が起こり、国家総動員体制の時代であったので、防共すなわち共産主義の進出を防ぐことが求められ、回教公認問題が起こったが、それはイスラーム教徒が住む地域へも進出する可能性があったからである。宗教界は、少なくとも表立っては、宗教団体法の成立に賛成した。真宗大谷派の僧籍をもっていた衆議院議員の安藤正純は、第二次宗教法案・第一次宗教団体法案について監督権限を弱めることに尽力したが、国民の教化活動を担っていくという政府の期待に積極的に貢献すべきであると述べた。しかし、宗教界には宗教統制に対する警戒から、慎重な運用を要望するものもあった。

 宗教団体法の施行に伴い、仏教各派は「宗制」や「宗憲」を制定して認可申請したが、文部省は本願寺派に「真俗二諦」を「王法為本」に変更するように要請し、「王法」すなわち国家のルールの遵守を明確にするように求めたという。真宗大谷派には、「王法為本」を「皇法為本」とする見解を示している。キリスト教のバプテスト派は、個別教会の独立自治を尊重していたが、文部省によって全国的な一大教団となるよう求められた。戦時下で、宗教団体法が宗教の戦争協力・動員の基盤と枠組みを提供することになった側面があると小川原氏は述べた。

 

 戦後になって、占領軍による「国家神道」と宗教団体法に対する否定的な評価を踏まえて、宗教法人令、宗教法人法が公布・施行され、各宗教もこれを歓迎し、自由と自主を自覚しつつ法人運営にあたってきたと小川原氏は論じた。まず、1945年104日、人権指令が発令され、同年125日、神道指令が発令された。また宗教団体法が廃止されたため、宗教法人令が19451228日に公布・施行され、宗教法人法が1951年3月に成立し、翌月に施行された。宗教法人令によって宗教法人の設立は、所管官庁の文部省への届け出制になり、解散命令権は裁判所に付与された。同令が翌年1月に改正されて、神宮・神社が宗教法人とみなされることになった。宗教法人法案の策定は、文部省とGHQCIEのあいだで進められたという。

 さらに日本国憲法が制定され、第201項、2項、3項、第89条において、信教の自由と政教の分離が定められた。その後、オウム真理教のサリン事件があり、1995年には宗教法人法が改正された。小川原氏はこれらの宗教法案や宗教団体法案を事例として、政府が「信教の自由」に関わる法律を構想・立案した背景、およびその条文をふまえ、法案に対して仏教、キリスト教、神道の各宗教が、いかなる評価・反応をみせたかを検討した。小川原氏は宗教法案や宗教団体法案をめぐって、特に監督権限が強い法案について、宗教者が結束して批判したことが「信教の自由」の防衛につながり、実際に宗教法案が廃案となったと述べた。

 ところが、第二次宗教団体法については、宗教者がそれに賛同して受容したことで、教義が書き替えられるなどの「信教の自由」の侵害が生じたとも述べた。こうした歴史をふまえると、現在の宗教法人が置かれている立場について、旧統一教会問題に端を発し、権力介入の余地が広がってきているとは言えると述べた。旧統一教会については、宗教法人としての解散請求命令が出されている。従来の解釈では、刑法上の不法行為を犯した場合が請求条件であったが、昨年10月の国会答弁で、岸田首相が政府解釈を変更して、民法上の不法行為についても、それが悪質で継続的で組織的な場合には、解散請求の条件となった。なにが悪質で継続的で組織的であるのかについては文化庁が判断している。このことは「自由すぎる団体」への「規律」を権力に委ねればよいのか、また「信教の自由」のために権力・社会とどう対峙すべきなのか、という問いを投げかけている。さらに旧統一教会問題は、それが「カルト」「異端」だからと言って、宗教界とは「関係ない」では済まされないとも述べた。

 最後に小川原氏は、言論・表現の自由、学問の自由、信教の自由を考えるとき、結束と発信の必要性から、宗教間・宗派間の連携と情報発信の活性化が重要であると述べた。さらに自由の確保と自主性の発揮のために、宗教・宗派・寺社教会の自治と自浄作用を促していくことも大切であることを説いた。具体的には、1995年に提出された宗教法人審議会の報告書には、第三者機関「宗教情報センター」の設置案が提示されているが、これまでの宗教の歴史を考えるとき、小川原氏は第三者機関の設置を考慮すべきであることを示唆するとともに、宗教界には、こうした具体的な動きが必要であることを強調して講演を終えた。

 

 

 

パネル・ディスカッションと全体討議

 小川原氏の基調講演の後、澤井氏の司会によってパネル・ディスカッションおよび全体討議がおこなわれた。パネル・ディスカッションでは、まず、小川原氏が補足発言をおこなった。同氏は基調講演の最後で、第三者機関の設置を提案したが、それは行政機関の権限に対する民主的統制を前提とすると述べ、行政機関の民主的統制と第三者機関による自浄作用がセットになっているのが、民主的国家の基本的構造であると述べた。

その後、小田淑子氏(元関西大学教授)は、小川原氏の講演内容の背景を成す現代日本の宗教状況を補足説明しつつ、コメントした。小田氏によれば、日本では宗教に関する話がタブー視されていて、多くの日本人は自分を「無宗教」とみなしている。それは戦後、政教分離に基づき、公教育では宗教教育を実施しない方針で、宗教の知的教育がいっさいなされなかったことが主な原因だという。また、仏教の僧侶や研究者が教義仏教と生活仏教の相違を適切に説明してこなかったことにも一因があると述べた。これまで日本人は、「宗教の自由」を自分自身の切実な問題として意識してこなかったが、それは近代以前も現代も日本では、各個人が自分の信仰を明示する必要がなかったためでもある。小田氏はこうした日本宗教のあり方について説明し、小川原氏の講演内容の背景を明らかにすることで、小川原氏の基調講演へのコメントとした。

 引き続いて、小原氏(同志社大学教授)がおもに2つのポイントを中心にコメントをおこなった。まず、小川原氏が「自由すぎる団体」にいかに規律を与えられるかに言及した点について、小原氏はまず、規律が弱い団体には宗教と政党があると述べた。さらに旧統一教会への対応のためにも、民間の自主的団体の存在が重要になるが、小川原氏が指摘するように、そういう民間の団体はいまだ存在していない。そこで小原氏は、小川原氏が政府から独立しているばかりでなく、どのような要件を備えた団体が必要であると考えているのか、という問いを提示した。さらに各宗教は、宗教法案が提出されるごとに、互いに協力してそれらの法案を廃案へともたらした。ところが、1939年の宗教団体法案が提出されたとき、宗教側がそれを歓迎する雰囲気に包まれていたと小川原氏は述べたが、それが宗教側として本心であったのかが気になる、と小原氏はコメントし、小川原氏の意見を求めた。

 さらに室寺氏(前滋賀医科大学教授)が、小川原氏の基調講演に対するコメントをおこなった。室寺氏によれば、小川原氏は宗教団体としての「信教の自由」については論じたが、個人としての「信教の自由」には言及しなかった。そこで、小川原氏が個人としての「信教の自由」をどのように考えているのかという問いを提示した。今日、寺院の境内地の所有は非課税であるが、宗教活動について考えたとき、それには公益性が求められる。そうした状況において、宗教法人としてではなく、個人として―それが宗教者であれ信者であれ―「信教の自由」はいかに捉えられるのだろうかと小川原氏の意見を求めた。

 これら3名のパネリストによる各コメントに対して、小川原氏は簡潔に応答した。まず、小田氏のコメントについては、小田氏が指摘するように、宗教のタブー視は政教分離と関わりをもってきたと述べた。とりわけ戦後、政教分離で問題になったのは靖国神社、創価学会および旧統一教会の問題であったが、そうした社会状況のなかで、宗教を語ることの難しさがあったと思われると小川原氏は述べた。また、小原氏のコメントに対して小川原氏は、日本では中間機関が弱いため、それを強くするには強制力を発動させる必要があると述べた。その際、まずは第三者機関がガイドラインを作り、そのうえでガイドライン違反があるとき、民間の窓口で苦情を聴く。その際は調査も必要になるので、ある程度のスタッフも必要になる。構成としては宗教連合団体あるいは宗教法人の代表者が中心となって、そこに学識経験者や専門家が加わるということになるだろうと回答した。さらに、1939年の宗教団体法の成立について、小川原氏はその当時、各宗教が表向きは歓迎しているように見えたとしても、実際は歓迎していたわけではなかったと述べた。

 さらに室寺氏が提示した個人としての「信教の自由」の問いについては、近現代の日本人には、そのことを理解するだけの時間も環境もいまだ用意されていなかったと思われると小川原氏は回答した。その点については、パネリストのあいだで、現代日本の場合、「信教の自由」とはいっても、それが自分たちの手で勝ち取った「信教の自由」ではないことが確認され、そのことを自分たちのものにするには、教育が大切であることの認識が共有された。

 最後にフロアーの参加者も含めて、全体討議がなされた。いくつかのコメントや問いが提示されたが、ここでは2,3のコメントあるいは問いを提示しておきたい。まず、習俗としての宗教と政治の関係に関するコメントが提示された。それは明治期に迷信打破という理由で、その時代まで日常生活の中で身近であったものが禁止されていった歴史がある。国家にとって都合の良いものだけに宗教を限定し、それ以外のものは排除された。それが日本人の宗教に大きな影響を与えたと思われる。また、一概に「宗教」とは言っても、神道や仏教への考え方や接し方とキリスト教とか新宗教へのそれのあいだに大きな違いがあり、それが政策にも影響を与えてきたようにも思われるというコメントであった。こうしたコメントに対して小川原氏は、明治期に国家の建設に当たって、明治政府は不都合な習俗を排除していったが、そのことを決めたのは行政機関や官僚であった。今もそうした官僚のメンタリティは基本的に変わっていないように思われると応答した。

 さらにフロアーから、小川原氏が言う「第三者機関」の性格に関する問いが提示された。それは第三者機関とは国民生活センターとか、大学認証評価システムにおける大学基準協会のようなものをイメージしてよいのかというものであった。その問いに対して小川原氏は、少なくとも第三者評価を通らないと補助金をもらえないというように、強制力を発動させないと日本の中間機関は強くならないと思われる。今日、政府はその役割を独立行政法人に期待している。それは半官半民であるが、官に近く、民間でやったほうがいいと思われると回答した。

 以上、現代日本社会で注目されている宗教と政治との関わりをめぐって、本報告は、公開シンポジウムで展開された議論の主要なポイントについて纏めたものである。ともあれ、当日の議論は、宗教倫理学会の会員ばかりでなく、一般の来聴者にとっても、極めて意義深い内容のシンポジウムであった。