公開講演会チラシ
鎌田氏はまず、イスラームという宗教の聖典であるクルアーンでは、「自由」がいかに説かれているのかを説明した。イスラームでは、聖典のクルアーンは神が語った言葉そのままであり、真理であると信じられていると述べたうえで、イスラームにおける神と人間の関係について語った。
イスラームにおいて、神(アラビア語で「アッラー」)は「主」(rabb)であるのに対して、被造物である人間は「奴隷/下僕」(‘abd)である。これがイスラームの基本的枠組みであると鎌田氏は述べた。そこで真の人間性のあり方は、神への奴隷性を完璧に実現することにある。その具体的なクルアーンの言葉として、「本当に神は、わたしの主(rabb)であり、またあなたがたの主であられる。だからかれに仕えなさい(fa‘budū)。これこそ正しい道である。」(19:36)を紹介した。ここで「仕えなさい」とは、「奴隷」と同じ語根の動詞形であるとも付言した。
イスラームのこうした枠組をふまえ、鎌田氏はイスラームにおける「自由」の語とその意味を説明した。まず、「自由」(ḥurr)の語根は Ḥ-R-Rで、「自由・解放」(ḥurr, taḥrīr, muḥarrar)として用いられる。クルアーンには、「信仰する者よ、あなたがたには殺害に対する報復が定められた。自由人には自由人al-ḥurr bi’l-ḥurr、奴隷には奴隷al-‘abd bi’l-‘abd、婦人には婦人al-unthā bi’l-unthāと。だがかれ(加害者)に、(被害者の)兄弟から軽減の申し出があった場合は、(加害者は)誠意をもって丁重に弁償しなさい。・・・」(2:178)と記されている。クルアーンの啓示された当時の社会では、「自由人」と「奴隷」の存在が前提になっているという。
またクルアーンには、「宗教には強制があってはならないlā ikrāha fī al-dīn」(2:256)ことが明確に神の言葉として記されている。この言葉の解釈は難しいが、その言葉が啓示されたときの状況を初期の学者たちは以下のように説明した。「宗教に強制はない」の言葉は、サーリム族の援助者たち(アンサール)のひとりの男に関して下された。アンサールとは預言者たちがメッカからメディナに移ってきたとき、メディナに住んでいて彼らを助けた人々のことである。その男はムスリムであったが、彼には二人のキリスト教徒の息子がいた。彼は預言者に「私はかれらふたりを(イスラームへの改宗に)強制しないでいいでしょうか?というのは、彼らふたりはキリスト教以外は拒んでいるのです。」と問うた。その際に神は、その言葉を啓示したと言われる。改宗には、強制的な手段は相応しくないと理解されている。
さらに鎌田氏は、神の啓示の言葉をめぐって、現代のクルアーン注釈者がどのような議論をしているのかについて、3名の学者を取り上げた。まず、法学や法哲学を専門とするワフバ・ズハイリー(シリアの法学者 1932-2015)を取り上げた。ズハイリーによれば、イスラームへの入信をだれにも強制してはいけない。その正しさの証拠が、上に引用したクルアーンの言葉のほかにもある。信仰(īmān)は納得(iqtinā‘)と証明(ḥujja)と論証(burhān)に基づいており、そこでは無理強いや強制は役に立たないというのである。「もし主の御心なら、地上の凡ての者は凡て信仰に入ったことであろう。あなたは人びとを、強いて信者にしようとするのか。」(10:99)とあるように、神は信仰の無理強いを否定する。信仰の自由のように、ズハイリーは、自由は人間の尊厳にかかわるものであり、それはどの人間ももつ自然の権利であると言う。
クルアーンは強制的改宗はいけないというが、それと反対のことを記している箇所もある。たとえば、ムハンマドの言葉であるハディース(イブン・ウマル伝)では、「私は人々と戦うように命じられた。彼らが神のほかに神的存在はなくムハンマドは神の使徒であると[信仰]告白し、礼拝(サラート)を行い、救貧税(ザカート)を出すようになるまで。彼らがこのように行う際には、イスラームの要請がないかぎり彼らは彼らの血と財産を私から守ることになり、彼らの(終末の)清算は神の手に任せられる。」(Ṣaḥīḥ al-Bukhārī No.25 (Sunnah com))。クルアーンでは、「迫害がなくなって、この教義がアッラーのため(最も有力なもの)になるまでかれらに対して戦え。・・」(2:193)と記され、この言葉は、強制してはいけないという言葉と対立している。
クルアーン(9:5「剣の節」)には、「聖月が過ぎたならば、多神教徒を見付け次第殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、また凡ての計略(を準備して)これを待ち伏せよ。だがかれらが悔悟して、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をするならば、かれらのために道を開け。本当にアッラーは寛容にして慈悲深い方であられる。」と記されている。そこでズハイリーも「宗教に強制はない」(2:256)と「イスラームを受け容れない者は殺せ」(9:5)の調和を試みている。
イブヌルアラビー (d.1148) は、クルアーンの法学的根拠を整理したAḥkām al-Qur’ān において、強制(ikrāh)を二つに分けて考えた。すなわち、(1)「 偽りへの強制」と(2) 「真実への強制」である。偽りへの強制とは、偽りの宗教への強制で、(2:256)が言及しているものである。真実への強制とは「敵がイスラームを受け容れるまで私は「人々」と戦うことを命じられた」という伝承があるように、真実(イスラーム)への強制は特例として承認されるとしている。イスラームを特例とするこのスンニー派の古典的な理解に新たな視点を加えたのがズハイリーである。彼によれば、ハディースの「人々」とはアラブ多神教徒を指しており、ここでは特にアラブが問題である。つまり、アラブは使徒を支えなくてはいけない人々であり、アラブの地はイスラームが生まれ出た土地である。こうした二つの特殊な理由のために、アラブ多神教徒には強制が容認される。この条件の外では(例えば、現代のアラブには)、イスラームへの強制も認められないという。ムハンマドの時代のアラブ多神教徒にしか、この強制は許されないとするのである。
次に鎌田氏はサイイド・クトゥブ (1906-1966 Fī ẓilāl al-Qur’ān, 7 vols.)を取り上げた。彼はエジプトのムスリム同胞団の指導者で、エジプト政府によって処刑された。専門のイスラーム学者ではなかったが、クルアーンについて註解書を書いた。彼によれば、「信教の自由」(ḥurriyyat al-i‘tiqād)とは人間がもつ諸権利の最初のものであり、人間に「人間」の姿(waṣf)が肯定されるのは、信教の自由があるからであり、人間から信教の自由を奪うものは、最初からその人間性を彼から奪うのと同じであるという。そして信教の自由とともに、「教義」(‘aqīda)宣教の自由と(宣教によって迫害を受けるなどの)苦難や試練からの「安全」(amn)がなければならない。そうでなければ、それは名前だけの「自由」(ḥurriyya)であり、実際に自由が働いていることを示すものがないことになってしまう。このように自由、信教の自由を強調する。
信教の自由とジハードが両立するのかは問題として残ってくる。彼はムスリムにとってジハードは義務であると言い、その根拠としてクルアーン(2:193)、「迫害がなくなって、この教義がアッラーのため(最も有力なもの)になるまでかれらに対して戦え。だがもしかれらが(戦いを)止めたならば、悪を行う者以外に対し、敵意を持つべきではない。」を挙げている。「宗教に強制はない」という言葉は宗教の本性から出ているが、このような宗教本来のあり方を享受することは専制と迫害に苦しむムスリムには簡単ではなく、つねにジハードを心がけねばならない。そのために「ジハードに備えなさい」(8:60)の言葉と併せて読む必要があるという。
3人目の学者として、鎌田氏はタバータバーイー(1903-1981 al-Mīzān fī tafsīr al-Qur’ān, 22 vols.)を取り上げた。先に取り上げた二人の学者はスンニー派に属しているが、この人はイラン生まれでシーア派に属している。タバータバーイーによれば、「宗教には強制があってはならない。」(2:256)とは無理強いする宗教の否定を意味する。宗教とは、下位の様々な実践的行為を規定する知的な知識(ma‘ārif)からなる連結体(silsila)であるが、宗教が包摂する「信条」(i‘tiqād)や「信仰」(īmān)は「心のもの」(al-umūr al-qalbiyya)であり、そういうものには強制とか無理強いなどは力をもっていない。かくて「強制」(ikrāh)は外面的な諸々の実践、身体的、質料的な諸々の行為や運動、そういうものにしか影響を及ぼさないという。彼によれば、外面的な実践もタウヒード(神的一元性の原理)によって支配されており、信教の自由はあり得ないという。
タバータバーイーは「その法令qānūn[シャリーア]はあなたが知っているようにタウヒードの基礎の上に置かれており、ついでそれに続く段階で、すぐれた倫理akhlāqの基礎のうえに(置かれている)。次に、存在しているものはなんであれ、個人的なあるいは共同体的な実践のうち小さいものでも大きいものでもすべてをその(倫理)は扱っており、人間に関わる、あるいは人間がかかわるどんなものも、イスラームの法al-shar‘ al-islāmīがそれに足、あるいは足跡を残さないようなものはない」と言う。したがって、「自由」(ḥurriyya)には動きまわる場も顕れる場もないのである。
タバータバーイーによれば、「宗教に強制はない」(2:256)に関係づけたことは、タウヒード(一元性の原理)がすべてのイスラーム的法秩序(nawāmīs)の基礎にあることである。しがたって、「どうして(多元性を前提とする)信仰の自由(ḥurriyyat al-‘aqā’id)を成立させることができようか?それはまさに矛盾そのものではないか?」と言う。つまり、信条は人間の意思や行為を規定する役割をもつ規範として働く知識、認識であり、人間の意思や行為を超えた高い位置にある。信条という与えられた判断枠組に沿って具体的な判断をすることができ、そのレベルで人間の自由意思を働かせることはできる。しかし、判断の枠組を提示する信条(アキーダ)は人間の自由意思による行為ではない。人間をこえたタウヒードの宗教のレベルであり、それは啓典の民の合意という真実によって確定しているという。自由は(神によって定められた)タウヒードの宗教のなかで、規範が実践の領域に移る具体化の局面にのみ関わるが、その規範そのものに関わることはないのである。
このように鎌田氏は、3人の学者によるクルアーン注釈の議論を取り上げながら、信教の自由をどう理解しているかを説明した。「宗教に強制はない」というのは神の言葉として否定することのできない出発点となるが、そこから引き出された判断や思索が多彩であることは理解できるであろう。
さらに鎌田氏は、講演の内容を補足するかたちで、イスラーム神秘主義(スーフィズム)における「自由」についても説明した。スーフィーであったクシャイリー (986-1072 al-Risāla al-Qushayriyya)によれば、「自由(ḥurriyya)の真の姿は完璧な隷従(‘ubūdiyya)のなかにある」という。最高度に自由を実現することは「完璧な隷従」を行うことである。自由とは全ての束縛から解放されることである。ただ自由とは言っても、神と人間とが「主人と奴隷の関係」にあることは常に存在し、神から自由になるということはイスラームの考え方からは出てこない。しかし、神以外の全てのものからは自由になれるという。そのことが神秘主義で言う「完璧な隷従」、「最高度の自由の実現」ということになると説明した。
このクシャイリーの考え方は、有名なスーフィーであったイブン・アラビー(1165-1240)にも影響しているという。イブン・アラビーは「自由の最高度の実現は完全な奴隷である(al-‘abd al-kāmil)」と言う。人間の全ての行動は、実際には、神がおこなっていることである。人間が自由を実現していても、それはあくまでも神からのイニシアティブで可能になる。神と人間は絶対的に異なるが、両者は一つになっているという。このように鎌田氏は、イブン・アラビーやクシャイリーが言うような「自由」の考え方も、イスラームのなかには流れていると説明した。ただ、この講演で触れたのは、イスラームの古典的伝統の流れのなかで思索している者の議論であり、ムスリムの知識人のイスラームとの関わりは濃淡さまざまであり、イスラームはひとつであるといって済ませることはできないと述べ、充実した内容の講演を終えた。
鎌田氏の講演の後、澤井義次氏(研究プロジェクト委員長)の司会で、イスラーム研究者の小田淑子氏がコメントに立った。小田氏はイスラームの伝統における、クルアーンとハディースという聖典注釈の方法と、それらを丹念に解読するイスラーム研究の意義を確認したうえで、イスラームにおける「信仰の自由」について宗教史の視点からコメントした。小田氏によれば、鎌田氏は3人のムスリム学者の注釈に基づいてイスラームへの改宗が個人の自由意思によるかジハードによるかの議論を紹介したが、預言者ムハンマドの在世中に布教を妨害する人々と戦った(ジハード)ことは事実だが、一般にユダヤ教徒とキリスト教徒は「啓典の民」として改宗を強制しなかった。
また、イスラームにおける「信仰の自由」について、鎌田氏は講演で詳細に説明しなかったが、イスラーム神学において、ムスリムにとって信仰は「自由意思」(ikhtiyār)によるのか、神の予定によるのかという問題があったと小田氏は付け加えた。鎌田氏によれば、イスラームでは「終末の裁きに対し自らの行為の責任を負うべく人間は自由意思をもつという考え方」が基本である。小田氏はそのことに同意しつつ、クルアーンには、神は思いのままにある人を信仰に導き、ある人を不信仰に導くことができる、と何度も記されていることを取り上げた。この表現はクルアーンでは、ムハンマドは啓示を人々に伝えるだけで、思うままに人々を信仰に導くことはできない点で、神と預言者との相違を強調する文脈で見られるが、同時にそれは人間の自由意思と神の予定に関する問題である。この問題について、小田氏は信仰の深まりという視点から捉えることができると述べた。イスラーム初期には、一部のアラブ人は主体的決断で入信したが、多くの人は部族長や周囲の人々の判断や状況に従ってムスリムになっただろう。その人の信仰が深まったとき、信仰は自分の力で選び取ったのではなく、神から賜ったものと思う境地になる。このように理解すると、自由意思と神の予定は矛盾しないと述べた。ただし、この自由意思と予定論の問題はキリスト教神学にも共通する古典的な神学論争のテーマだが、鎌田氏が論じた人間に普遍的な信教の自由に近い意味の「信仰の自由」とは少し異なる。
小田氏のコメントの後、会場からの数多くの質問が提示され、鎌田氏は時間の許すかぎり、それらの問いに丁寧に回答した。ここでは2,3の主要な質疑応答の内容を簡潔に纏めておきたい。まず、イスラームで「信教の自由」が唱えられたのは、イスラームの教義解釈が進んだ結果、辿り着いた結論であったのか。また、西洋的な意味での積極的な「自由」の概念は、イスラームにはそもそも存在しなかったのか、という問いが提示された。その問いに対して鎌田氏は、日本や西洋で考えている積極的な意味での「自由」という考え方は、イスラームの伝統的な考え方には存在しないと明確に返答した。さらに講演のなかで取り上げた3人の注釈者たちが論じている「自由」の概念は、西洋の考え方に触発されて議論され始めたものだと付け加えた。ちなみに、「自由」(ḥurriyya)の語は古くからあったが、それは多義的で、アラブ古典文学では「心が優れている」というような意味も有していたことにも言及した。
さらにイスラームでは、棄教は認められないと聞いたが、それが本当ならば、それは信教の自由と矛盾しないのかという問いが提示された。その問いに対して鎌田氏は、宗教を変えるとか捨てるという考え方は、近現代のことである。つまり、「信教の自由」という概念は西洋的なもので、自由に宗教・宗派を変更することは、ヨーロッパ近代のものだと思われると答えた。また神秘主義のコンテクストで、「自由」とは神以外からの自由を意味するのかもしれないが、それはスーフィーたちが神との関わりを希求しているからなのかという問いも提示された。その点に対して鎌田氏は、神以外からの自由が人間にできる最大の自由の実現である。イスラームの伝統では、人間は神の奴隷であるという基本的な枠組みを壊すことはできないので、神からの自由という考え方は、イスラームの考え方からは出てこないと明確に応答した。
このように充実した内容の全体討議がなされ、公開講演への参加者は全て、日頃、私たちが用いている「自由」という言葉の意味内容が、イスラームの宗教伝統では大きく異なることを適確に理解することができた。そういう意味でも、きわめて意義深い公開講演であった。